見出し画像

【御挨拶】『宝塚の座付き作家を推す!―スターを支える立役者たち』を上梓いたします

平素より当noteをお読みいただき誠にありがとうございます。

表題の通り、拙著のお知らせと御挨拶です。出版社 青弓社さまより『宝塚の座付き作家を推す!―スターを支える立役者たち』を上梓いたします。

宝塚の座付き作家を推す!   スターを支える立役者たち 七島 周子(著)
四六判  280ページ 並製
定価 2000円+税
ISBN978-4-7872-7453-3 C0074

https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787274533/

なお、発売予定日は近刊情報に記載がありますが、青弓社さまサイトの仕様上日にちの入力が必要らしく、発売日は未定となっております。3~4月初旬の発売予定で、日取りが決定いたしましたら改めてお知らせいたします。

『宝塚の座付き作家を推す!』上梓のあらましと概要

ことの発端は、私が2020年4月から2022年4月まで書かせてもらっていたヘアサロン検索サイト「haircatalog.jp」さんの連載を、青弓社さまが見つけてくださったことにあります。

書籍目次にあります第1章「座付き側から宝塚を読む」は、この②~⑪の10名に加え、2013年に退団した児玉明子先生と齋藤吉正先生を加えたものを中心に構成されています。
コラム自体はおおよそ5,000~6,000字程度(石田さんだけ8,000字くらい書いた記憶があるが)ですが、各項さらに4,000字~5,000字の加筆をしております。これは、コラムは「haircatalog.jp」さんの設定するコンセプトが「普段の生活では出会わないニッチな各ジャンルに触れ、読みふけってもらう」ことであったために、宝塚ファンでない方からの目線も意識した論旨で書き進めていました。
元々がエッセイ的な内容ですので論理よりも主観が強いコラムではありましたが、加筆部分は、特に”スターのファンとしての私”の目線を強くし、掘り下げています。

ちょっと裏話を……。
これはnoteに書いたんだったか、拙著内に書いたんだったか忘れましたが(鋭意校正中。もう読み返すのが恥ずかしいターンに入っている)、先の児玉さんと齋藤さんは元々コラムで発表する10人に入っていました。最も好きな方から2人なんだもん、そりゃそうだ。

ただ、同時に迷いもありました。それはなぜか。
一番愛し尊敬する人を、不用意にネットの海に引きずり出すことが怖かったからです。
結局その後、noteでコレコレと、かなり尖った記事書いてるから少し考え方も変わってはいるのですが、「haircatalog.jp」さんの連載では編集さんや校正さんの校閲は入るものの専門家ではおられないので、この2人に関する私の想いは、そのままぶつけてしまって大丈夫なものだろうかと。noteは私個人の責任における媒体だからいいとして、有償原稿だしなぁ……という。
愛って、見方を変えると固執なので、ものすごく視野が狭い自覚はあったんですよね。

そんな中、ちょうど連載中に青弓社さまからお声かけをいただいたので、その障壁がクリアになったというわけでした。コラムでは最も好きなお2人を外して書籍収録を決断をしました。(で、小柳さんと小池さんが加わった。)

青弓社さまという、宝塚歌劇関連をはじめ演劇やサブカルチャーに関する書籍を多数発行している編集さんがご覧くださり、そのアドバイスをいただきながら執筆できたのは大変ありがたく……。編集さんの目が入ったことで、私の取るに足らない想いや思考に、大きな価値づけをしていただいたと思っています。
面白がりながら読んでいただけたことは自信にもなりましたし、アドバイスや指摘は糧となりました。なにより楽しかった~

公式サイトで目次もオープンになっていますので、掲載しておきますね。第2章は「2 娘役とは――処遇に向けられる現代的な批判」のみ、以前note
で書かせてもらったこちらを下書きにリライトしており、それ以外は新規原稿です。

第1章 座付き側から宝塚を読む
 1 柴田侑宏――初めての「余韻」を読む
 2 谷正純――死ぬほど、生き倒す
 3 木村信司――Mr.moonlight
 4 上田久美子――編集者
 5 小柳奈穂子――白馬
 6 生田大和――言葉よりも高精細 
 7 大野拓史――タイムスクープハンター
 8 石田昌也――ショーストッパー
 9 正塚晴彦――解決しない救済
 10 小池修一郎――関所の番を押しのけて
 11 児玉明子――翻案を読む
 12 齋藤吉正――エルピス
 13 後物作家を推す――岡田・草野ショーと五組化
第2章 「宝塚」という特殊な世界
 1 “異常性”の自覚と許容――世界一メジャーなニッチカルチャーの基礎知識
 2 娘役とは――処遇に向けられる現代的な批判
 3 男役とは――おこりといま、ファンと劇団と座付きとで作る仮想ジェンダー
 4 「贔屓」って何?――「「推し」って言わないで」は排他的?
 5 なぜ座付き作家を推すのか――いまの自分以上の可能性を探して

https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787274533/

なぜ座付き作家を推すのか

あえて「推す」という言葉を使いたい理由

今私は宝塚のスターに特定の贔屓はおらず(和希さんとキワミくんの間で揺れている)、Twitterなんかにも齋藤さんと大野さんを贔屓と明記させてもらっています。
そんな自己紹介もあるおかげで、私の周りには顔見知りの方も会ったことのない方も含めて、作品中心的な感想を語り合えるお友達やフォロワーさんが多いですが、25年の宝塚ファン人生を振り返るとそれは極めてまれなことに気づきます。

それは、客層の作品の読解力や文学的興味の有無のせいばかりでは到底なく、宝塚歌劇はそもそもスターが主力商品であるから当然のことです。宝塚ファンは皆、スターを観るために足しげく通い、成長や大成を喜び、限られた時間を分かち合うもの。上演される作品は、その両者の分かち合いのメディアの一つにすぎません。

ですが、宝塚の生徒たちは作品を通して成長していきます。それは、単に歌や踊り、芝居の場数を踏んで技術が成長することのみならず、精神の成長にも寄与していると思います。
物語世界を通して人間関係を追体験し、人生を学ぶ。
あるいは、役付きや抜擢を通して、期待に応えるための苦悩と努力を経験する。
その立役者が座付き作家です。

本来宝塚歌劇の用語では「贔屓」ですが、今回あえて「推す」と冠したのには、ある小さな懸念から想起されたものです。

それは、マーケティング色の強い作品が多く感じられるようになったこと。若輩の目線ですし、100年の歴史の中でさまざまな流れがあったことは重々承知してますが、宝塚は今”推し活”ブームもあいまってかつてないほど注目を集めていると思います。ファンも増えて、いよいよチケットも取れなくなってきました。それ自体は良いことだ。
そんな中で、ファンのボリュームゾーンが求めるスター像を具現化するキャラクターや、ファンの琴線に触れるスターとスターの絡みを重視する演出が非常に多くなったと感じていまして。
端的に言うと、劇団も作家も「エゴサ&パブサしてんなぁ~」って思うこと、超増えたなって話。

これに関しては、昔から「宝塚の座付きはスターの持ち味に合った作品を書くことに集中していればいい」という意見がマジョリティだと思いますし、マーケティングして何が悪いの? とお思いになるかもしれません。

私も本業は編集で、読者アンケートやSNSのパブサは欠かさないですし、経営誌が主戦場なのでマーケティングを強化することは、組織の成長や醸成に不可欠だということは知っています。
ですが、だからこそ、それだけに傾注する怖さも同時に知っています。
経営理念やミッションなどの軸なきマーケティングでトレンドや新規客の声に右往左往し、長年お店を愛してくれた上顧客が離れ、スタッフが辞め……という美容室様の実例をたくさん見聞きしてきました。

「お客の思うスター像」だけに応え続ける下請け的なものづくりでは、先に申し上げた“スターを育てられる作品”には至らないと私は考えます。
先日『ディミトリ』の記事でも言及しましたが、礼さんが演じたディミトリには、本来の持ち味や得意分野と違う役があてがわれるからこそ生まれる深みがありました。そして、円熟期である彼女に今あてられた意味を強く実感しました。そういう、宝塚ならではの”スターを育てる仕掛け”がなくならない、薄まらないことを強く望みます。
それが、タイトルに込められた想いです。

こんな人にぜひ!お読みいただきたいです

ですので、この本を通して「座付き作家ファン」を増やしたいとか、スターよりも座付き作家や作品に注目しろ! と言いたいわけではありません。
青弓社さんが紹介してくれていますように、あくまで著者の私も、スターに贔屓がいた人であることが大前提。私が一スターのファンとして、一少女として、あるいは一宝塚受験生として感じてきた、座付き作家たちがスターに心を寄せるありようを読み解く内容にしています。

作品を深く味わい、座付き作家の想いに考えをめぐらせるようになれば、スターのことがよりよくわかると私は思っています。
本来、芸術や文学は、その作品の質と人間性が連関することはありません。人間性が醜くても美しい作品をつくれてしまうジャンルはある。
ですが、宝塚に関しては、生徒自身の成長を強く願っている先生の作品は相応の輝きを含んでいると思います。それが、世界でも無二のおもしろいところだと思うんです。
もちろん脚本や演出の出来・不出来はありますが、それと別視点でのおもしろさを、少しでも多くスターのファンと共有できるとうれしいなと思いました。

そして、こういう作家にフィーチャーした本は、25年前の私が読みたかった本でした。遠く離れた九州で「宝塚はスターを見るもの」という宝塚の常識に触れることなく新規ファン時代を過ごしたので、憧れのスターはもちろん、1つの作品を何度も何度も反芻して味わっていたのを思い出します。

そういった経験から思うのは、お金がなかったり地方に住んでいたりすると、正直、スターを推すことだけが目的の観劇って楽しみの限界があるなということです。ファンクラブ活動はもちろんのこと、何度も何度も通ってパフォーマンスの変化を見守ることもできないし。
そういう、金銭的・直接的な推し方(貢献)ができなくても、1回の観劇や映像を通した反芻で、スターさんを深く知ろうと思いを馳せることは応援になると伝えたい。というか、私にはそれしか術がなかったです。それしか術がない人もいるんだよ。

ですので、25年前のあの日、ムック『宝塚歌劇ワンダーランド』(ぴあ社刊)を片手に数本の録画のVHSを眺めるしかできなかった11歳の私も、この本の隠れたペルソナです。
宝塚に興味をもって観に行ったものの、思うように現場に行けない、通えない人の新たな楽しみ方の選択肢の1つとして、お力になれればと思います。

舞台演劇はあくまで“演者”が主役であると私は思う

繰り返しますが、誤解されたくないのは「もっと作品そのものに目を向けよ!」ということはありません。「立役者」と冠していますが、座付き作家が宝塚の主役で花形と思っているわけではありません。

劇場に通う動機が、作品の良し悪しや推しの座付き作家、スタッフという人が増えて多数派になっていくべきだともまったく思いません。
宝塚はこれからも、スターを観に行くところであってほしいです。私も立つことを渇望したあの舞台の上で七転八倒、さまざまな生き様を見せてくれるスターのありようが宝塚の“コンテンツ”です。作品はそれを彩る要素の1つであり、作品の良し悪しはスター人生の追い風や試練の1つにすぎず、座付き作家や才能豊かなスタッフたちはあくまで脇役です。

というか、それは舞台演劇ほとんどにおいてそうだと、宝塚以外の演劇を見ても改めて痛感しています。
他人の人生や知らない世界を代わりに生きてくれ、目の前での再現を通して追体験するのが舞台なのだから、舞台の主役は絶対に演者です。どんなに名脚本、名演出でも、演者に魅力がなければ舞台としての出来は0点だと思う。むしろ、名脚本、名演出だと感じる作品を見るにつけ、その作家たちが演者とどんなディスカッションを重ねて作り上げてきたか、その熱を帯びた湯気が見えるようです。宝塚以外の作品でも強くそう感じます。

さしずめ、拙著は宝塚の“脇役外伝”。
読まなくても本筋からおいていかれることはないけれど、読んでいるとより濃く楽しめるじゃないですか、外伝って。(カカシ外伝が好き。)

取り扱う先生のラインナップも偏っていますから、拙著を通して、次はみなさんの “推し座付き外伝”が知りたいな。

そんなきっかけになれば幸いです。

発売はまだ先ですが、ぜひご予約のうえご購入くださいませ!

できればあなたの町の書店で買ってほしいので、ISBNコードを5回唱えて、ご挨拶に代えさせていただきます。

ISBN978-4-7872-7453-3 C0074
ISBN978-4-7872-7453-3 C0074
ISBN978-4-7872-7453-3 C0074
ISBN978-4-7872-7453-3 C0074
ISBN978-4-7872-7453-3 C0074

。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿。.゚+:✿

★★

Instagram:@shuko_74

Twitter:@shu_a_s_a040126

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?