![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161540934/rectangle_large_type_2_74d65f3b90f20b99ef9fbc54866dd642.jpeg?width=1200)
仏教|仏て何なん
「仏ってほら、…お釈迦様やろ?お迎えに来るんやろ?」くらいの人向けです。ですから、まぁまぁ知っている人には中身の無いほどスカスカ、下手したら反論さえ来るかもしれません。はじめの一歩です。
似たような言葉
まず、意味が近い(と思われる)言葉を並べておきましょう
仏、ブッダ、お釈迦様、如来、菩薩、ゴータマ・シッダールタ、釈尊
このうち、お釈迦様、ゴータマ・シッダールタ、釈尊はある人物のことです。ある意味ただの人です。神様の類ではありません。仏教は、この人が言い出しっぺの宗教です。
シッダールタて誰だ
名前はゴータマ・シッダールタ(ガウタマとかシッタッタとも)。シャーキヤ(釈迦)族の王子様。紀元前6-5世紀、インドとネパールの国境あたりで生まれます。
シッダールタ青年は、物思いにふけるようになります。「人はなぜ苦しみから逃れられないのか...」
父(国王)は一人息子が悲しそうに考え事ばっかりるすので、どうにか次期国王として元気にバリバリやってほしいと、あの手この手を尽くします。踊り子を雇ったり、豪華な食べ物あげて、暑いとき用・寒いとき用など宮殿を3つも建てて与えたり….。
しかし、父の願い叶わずシッダールタは29歳でこっそりと家を出ます。
当時のインドには思想家・修行者がたくさんいました。
仏教だってキリスト教だって、開かれる前から現地には宗教や思想があるし、そうした宗教を基礎にしています。
さて、そうした高名な人に教えを受け、先生と同じ域に達するも、「うーん...違う…」となります。続いて苦行をするも、「うーん...そうじゃないんだよな...」となり、やめてしまいます。現地の先生や苦行者からは、「生意気な若造め」「苦行から逃げる若造め」と、さぞ煙たがられたことでしょう。
シッダールタは、自分で考えてみることにします。瞑想中に、「全ての答えが分かった!」となります。ちなみにこのとき35歳。
こうして分かった、世界の真実みたいなものを伝えた内容が仏教です。
問われる質問に答えたり、ぽつぽつと語ったり、人に合わせて説明の仕方を変えていたので、後に対立や混乱、あるいは宗派の基にもなりました。
人々に教えを説き続け、80歳のときお布施でもらった食べ物でお腹を壊し、亡くなります。べつに、生き返るでもなく、病や災いを治すでもなく、ただの人間です。
ほんで、仏とは?
ここまで見たように、真理を知り、それを説き、体現する人が仏(=ブッダ、如来)です。総称です。だから、〇〇仏と呼ばれるものが色々あるのはそのためです。たとえば阿弥陀仏はシッダールタさんとは別人です。シッダールタは釈迦牟尼仏とよびます。
だから、もし今「世界の真理が分かった!」となる人がいればその人も仏様と呼ばれることになるかもしれません。
でも、普通の人々は世界の正しい姿(=真理、法)を見えていません。あなたに、悩み・苦しみがひとつでもあるなら真理は見えてないでしょう。怒ったり羨ましく思うことがあるなら同様。「私は完璧だ」と思うなら、思い上がってしまって仏様とは言えないでしょう。仏になるのは大変です。
それでも、仏教の目標は仏になること。仏教徒は仏になるために、苦行をしたり、読経をしたり、死者を供養したり、宗派によっていろいろするわけです。
さて、おさらいすると、
シッダールタ(釈迦)は人間。でも真理分かった、仏でもある。その前から真理は存在しているし、他に仏もいた。シッダールタを先生にして、私達も仏になります!というのが仏教。ということです。
主要参考文献
『岩波仏教辞典第三版』(2023)中村元ら編、岩波書店
web版浄土宗大辞典 https://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/
『とってもやさしいほじめての仏教』(2023)仏教伝道協会