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「書く」というアイデンティティ
ここ半年ほど、つまり2024年になってからずーーーーーーーーーーーーっと
「note更新しないとな・・・」
なんて感情と向き合いながら、結局書かないみたいな期間を過ごしてました。
そんなことを思いながら半年なにもせず急に書き始めたのは、この記事をみたからです。
書くのが億劫だったからこそ、今日くらいはなにも考えず、書いてみようと。
読者のみなさん(そもそもいるのだろうか)、読み手に優しくない文章ですが読んでくれると嬉しいです。
僕は創造性・クリエイティビティみたいなものが皆無の人間でして。似たような感覚でいうと、自己表現みたいなものも苦手。絵を描いたり、作品をつくったり、学校でいう図工みたいな時間。自分の中のものを発散するもの。
なにも思い浮かばないし、作りたいものとか言われても困る。なんとなく「いい」と思っても、実際に作る技術・センスがない。
自己表現でいうと、ダンスとか、楽器とか、動画とか。あのあたりのセンスもない。
自己を発散する。クリエイターってのは尊いな、とか思うのです。
noteを書き始めたのは、この人たちを世間に知ってほしい!みたいな感情に駆られたからです。
田んぼと畑に囲まれた環境で生まれた僕の周りには、スーパーマンがたくさんいました。気づいたのは最近ですが、この人たちが誰にも知られないのはなんか納得がいかなくて取材して、記事を書こうと思い立ちました。
最初に、誰を取材しようかなと思ったときに、まずは自分の考えていることを書いてみようと思って、そこでnoteを使って「自己の発散」をしてみました。
なんか意外に書けたんですよね。不思議です。
文章書くの楽しいかも。って思った瞬間でした。
そんなこんなで今も文章を書いてます。というか、これから書くことにしました。
最近の気づきとして、「発散」ほど自己に向き合う時間はないな、と感じたからです
内省癖があり、独り言多い系男子の僕の独り言をnoteに書いていくみたいなイメージです。
だから、誰のために書いているかと問われれば、誰のためではなく、自分のためだったりします。
でも、せっかく書くなら読んでほしいし、感想とか欲しいなとか思ったり。
そして、ディスカッションとかして、共感して、解釈して、学びが増えれば、こんなに素晴らしいことはないなと思うのです。
でも、誰かのために書いてちゃ、しんどくなりそうだから、まずは自分のために書いてみようと。
自分の書きたいという気持ちのまま書いてみて、そしたら自分はどんな気持ちになるのか。書けたという幸福に包まれるのか、それとも思考と発散が止まらなくなるのか。向き合いたくない感情と向き合って、しんどくなったりするのか。
そして、そもそもこんな文章が読まれるのか。もし、読んでくれる人がいるなら、どんな感情になるのだろうか。
そんな少しの好奇心と自己理解のために、これからも書いてみようと思います。