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書評と紹介:『河合隼雄のカウンセリング入門』

日本の心理学者の大家であり、民間人として三例目となる文化庁長官の歴任経験がある、故河合隼雄先生の著書『河合隼雄のカウンセリング入門』について。カウンセリングとは一体何なのか、相談や悩み解決とはどう異なるのか、そしてその基本はどういったものか書かれている本だ。普段の日常で使う機会は少ないテクニックの様には思えるけれど、本当に悩んでいる人を相手にする機会に心掛けるべき姿勢が、繰り返して提示されている。

「実技指導をとおして」というサブタイトルが付いている通り、ケーススタディが多い。特徴的なのは、それらに対する適切な回答方法が提示されるわけでも、一般化して手法論を語るわけでもないことだ。カウンセリングはケースバイケースであり、なおかつカウンセラーはクライアントの上に立つ存在ではないため、公式を当てはめた対応を行うことが出来ないのである。繰り返し説明されるのは、「カウンセリングとは、聴くこと」「解決できるのは、クライアントだけ」「クライアントに、カウンセラーはとことんついていく」という原則だ。

まず、「カウンセリングとは、聴くこと」なのである。解決策を与えるわけではないし、解決策を引き出すという姿勢も少し違う。何かをクライアントにしてあげるのではなく、クライアントが自己解決するのを補助する役割なのだ。あくまでも、問題を解決する主体はクライアントにある。これが相談や悩み解決とは異なる点だ。そして、ひたすら聴き続けることは難しく、一つの技能でもあると語られている。会話をする中で、つい「ああすればいい、こうすればいい」と言ってしまいそうになっても、カウンセリングでは禁物だ。下手に解決策を与えてしまうと、カウンセラーに対する依存関係が発生することもある。また、聴き続けると言っても、生死に関わる問題が出てきたときは「聴くとは言っているけど、これについては聴けない」と率直に言う必要があるし、精神科や家庭裁判所の方が適しているのであれば正しく勧める必要がある。あくまでもケースバイケースではあるが、原則としては「カウンセリングとは、聴くこと」なのだ。

「解決できるのは、クライアントだけ」の原則については一旦置いておくとして、先に「クライアントに、カウンセラーはとことんついていく」についてまとめよう。カウンセラーは、クライアントの感情を理解することは本質的にはできないのだけれど、同じ気持ちになって、時にはクライアントが自殺する寸前になったとしても話を聴き続けないといけない。一線を越えない限りは、安易に話を切り上げず、ひたすら話を聴き続ける。ここで重要なのは、話を全て語ってもらえるように、同じ悩みについて考える対等な立場の人間として、相手に心から信頼してもらうことだ。上から「ああしろ、こうしろ」と言ってもいけないし、多くの場合では記録に残すことも適さない。クライアントに、情報漏洩の懸念を持たれてしまうからだ。自分に嘘をついて、話を切り上げてしまうのもご法度だ。表面的なやり取りに留まらず、お互いの心が揺れ動くまで、とにかく話を聴き続けるのがカウンセリングである。

上記の話や、「解決できるのは、クライアントだけ」については直感的に理解することは難しいが、逆にクライアントの立場で考えてみると、なんとなく理解することができる。自分の中で抱えている問題があって、その答えはぼんやりと分かっている。だが、それを直視することは恐ろしい、という感情は、割と共感できる。そこで、他人にその話を聴いてもらうのだ。相手に理解してもらおうとして、自分の悩みについて語っているうちに、段々と自分の中の答えに近づいていく。話すことを通して、自然と悩みについて整理しながら、原因と答えに近づいていく過程が重要なのだと思う。当然ながら、そんな状態で「ああしろ、こうしろ」と言われても、結局自分の中の答えに辿り着いていないのだから、行動が変わる訳もない。また、話をしている相手が、上から目線だったり、情報を漏らすのではないかという疑念があったりしても、安心して心の中をさらけ出すことはできない。「カウンセリングとは、聴くこと」「クライアントに、カウンセラーはとことんついていく」の原則は、こうした理由によるものなのだろう。

まさに「入門書」だった。日常的に使われている「カウンセリング」という言葉の定義や、ケーススタディを通したカウンセリングの視点を学ぶことができる。ただし、あくまでも本書の内容を有効に活かせるのは、会社や学校でカウンセリングを担当している人だ。他人との付き合いが必ずしも多くない人にとっては、実践できる内容が少ないかもしれない。読んだことに後悔はないし、非常に勉強になる本だということは間違いないので、興味があれば一読をおススメする。

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