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1998年に初めてテレビ東京WBSトレたまに出してもらった時は電話が鳴りまくり、商品が売れすぎ在庫切れ。頭によぎったことは在庫確保。この判断が倒産、破産の引き金に。
1998年に初めてテレビ東京WBSトレたまに出してもらった時は電話が鳴りまくり、商品が売れすぎ、在庫がなくなり、販売店さんが入荷日に私の会社までワゴン車を乗り付け、商品を奪い合うように持ち帰り店舗に陳列するほどだった。そんな過去の経験に基づきトレたまで放送してもらえたら、すごいことになり、また在庫切れが起きる可能性がある。ぎりぎりの資金で最後の賭けにでる。
なけなしの資金をすべてつぎ込んだ。
これが良くも悪くも経験した事がない出来事のきっかけとなった。
もちろんWBSトレたまの影響力はすごく、取り扱いをしたいという事業者さん、バラエティーショップから電話はあった。
しかし、ここでいやらしい気持ちが芽生えていた。販売ルートをバラエティーショップ、デパートから今までと違う医療系から広げていく戦略を立てていた。
しかし予想していたような反応がなかった。残りの資金をすべてつぎ込んで用意した在庫は捌ききれずに資金は底をつく。会社運営の支払いはクレジットカードでキャッシングして返済する。
しかし、そんな程度で在庫仕入れ分が支払えるわけもなく、悩みな悩んだ末、恩人である大家さんに400万円借金を申し込む決意をした。
何度も電話をかけるかやめるか、携帯を手に取り、ポケットにしまう事を繰り返しを数時間もの時間が過ぎた。
以前にその大家さんから私は店舗物件を購入していた。しかも保証人は販売者の大家さん本人。
普通ではありえない話だ。困ったときには一番先に俺に相談してな。と。。。
お宅にも伺ったり、ごちそうして頂いたり、奥様にもお嬢様にもお会いしているそんな間柄なのでとても悩んだ。
大きな取引先との話も進んでいたこともあり、とりあえず借りることが出来れば少しはしのげる。
またその期間にチャンスに巡り合えるという運頼み状況だった。
しかし、今まで築いてきた信用や関係性が壊れる可能性もあるかもしれない。
それでも27年間経営してきた会社を潰すことはしたくなかった。
そして恩人に電話をすると少し驚いたよう様子だったが、折り返し電話するということになった。
しばらくすると【わかったよ。用意するから心配しなくていい。清水君なら大丈夫だろう。奥さんも快諾してくれたと】告げられた。ほっと胸をなでおろしたと同時にありがたい。
助かった。恩人と巡り合った時からの経緯を改めて思い出し私はなんて運がいいんだろう。こんな人と巡り合えた事に心から感謝した。しかしそんな恩人、奥様の気持ちや期待を裏切る結果となった。
後に売り上げ不振による倒産、破産、することになった。
借りたお金を返すことが出来なくなった。当時うつ病も発症していて簡単なことすら判断できない状況になっていた。
破産するにもお金もなければ、誰に相談していいかもわからない。
私は異業種交流会で知り合ったある人物の自己紹介タイムのプレゼンに引き込まれ助けを求めることになる。
これが整理屋だった。
こんな状況の時は、甘い言葉や優しい言葉、ありえないような逆転劇シナリオにスーッと心を持っていかれる。
たとえて言うならエサのない釣り針に自ら食らいつくという表現がぴったり。
そんな状況で更なるパニックに陥る。ここでまた恩人が手を差し伸べてくれた。
なんと自分の顧問弁護士に私の破産手続きを頼み、在庫を少しづつお金に変えながら弁護士費用を捻出。
債権者である恩人自ら債務者である私の破産手続きを進めて頂く事で免責で終える事が出来た。
しかし、それと同時に恩人との繋がりも終わることになる。
私も業績が良かったころ、あこがれの先輩経営者から借金の申し入れがあり200万程度貸した。
結局その先輩経営者は他の人からも借金を重ねていた。
事業を成功させ軍資金を得た先輩は更なる事業拡張に向け先物取引にはまっていた。
何回か先輩と連絡しているうちにかなり精神的に参っている様子が分かった。私は先輩に、もうやめたほうがいいですよ。しばらくすると弁護士事務所から破産手続き介入通知が届いた。
お金を貸した当初は人にお金を貸すときは、貸すのではなくあげると気持ちでと聞いたことがあった。
今までの先輩の実績も同期の中でもずば抜けていた。とにかくかっこよかった。
そんな憧れの先輩だったので、まず色を付けて返してくるだろうと確信していた。
もし、返ってこなかったとしても諦めがつくと思える人だった。
ところが、いざ弁護士事務所より介入通知が届いた時には動揺した。
その後その先輩とは音信不通になっている。
しかし、この先輩なら自分は表に立たない状態で、きっと再起して新たにビジネスをしていると思う。
お金を貸して返ってこなかった経験、お金を借りて返せなかった経験から私が学んだことは、貸しても借りても結局は幸せになれなかったということ。
そんな経験をして事実として倒産、破産を受け入れるころには重度のうつ病と診断される。