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妖怪は世界を平和にする②

約6年にわたり、「妖怪アートプロジェクト」なるものに携わってきた筆者が、これまでに得た知識や経験を基にたどり着いた一つの結論「妖怪は世界を平和にする」について連載形式で述べていきます。

妖怪とは何か?
さすがに「わからない」といっても、一応の定義は必要ですね。
妖怪について、ウィキペディアではこのように書かれています。

妖怪(ようかい)は、日本で伝承される民間信仰において、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在のこと。

確かにこれは妖怪の定義として間違いではありません。妖怪のことだけを定義するとするならば、このような表現になると思います。ですが、もっとわかりやすくしたいと思います。
私は、妖怪をこのようなイメージでとらえています。

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妖怪は神様と表裏一体、対になる関係性ととらえています。どちらも超自然的な(不可思議な)存在ですが、その違いは、人間によって「祀られる」か「祀られない」かの違いだけです。

「神」ではなく、「神様」としたのは理由があります。ユダヤ教やイスラム教などの一神教世界における神を「神」として、多神教世界(いわゆる八百万(やおよろず)の神)の場合の神を「神様」あるいは「神さま」として分けて表記するためです。「神」と「神様」は概念的には同じ部分と違う部分があります。ここでは、「神様」・「神さま」のほうが、身近でより親しみがあるイメージ、と思っていただけるだけて良いと思います。

このように、神様とセットで考えると、妖怪というものは何なのか、イメージがしやすくなるのです。日本人であれば、もうこれだけで溜飲が下がる方もいらっしゃるのではないでしょうか。妖怪は神様になり得るし、神様は妖怪になったりもするのです。例えばこんな例があります。

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菅原道真は平安時代の貴族で国のトップまで上り詰めるも、非業の死を遂げ、怨霊となり災いをもたらす妖怪となりました。それを恐れた人々によって、彼は神様として祀られ、太宰府天満宮が造られ、学問の神様となったことは有名な話です。また、ヤマタノオロチは、古事記や日本書紀に出てくる伝説の怪物ですが、本来は川や山の神であり、スサノオノミコトに退治された時点では妖怪(祀られないもの)となっているのです。これら以外にも、日本には妖怪と神様の間を円環的に行き来する事例がたくさん存在します。

ウィキペディアで「民間信仰」と表現されているのはこうしたイメージであると私は解釈します。そして、さらに以下を付け足したいと思います。

現代においても日本人が持っている独特の精神性であり、今もなお創り出されている文化。」さらに「平和につながる心理的要素の核(コア)であり、世界規模での規範となり得る概念。」ということです。

私がこれから述べようとするテーマは、
「日本人の妖怪文化は娯楽であり、平和の象徴である」
ということです。

妖怪を理解すると、このようなことが実現できます。

①DNAに刻まれた記憶を呼び覚まし、自分らしく生きることができる
②究極の寛容性を手に入れるきっかけとなり、人生が豊かになる
③自分が変わることで世界の平和に寄与することができる

なんとなく、宗教じみた話になってきましたね。ですがご安心ください。私は特定の宗教団体に属したり、布教活動をするような宗教家ではありません。私は特定の信仰を信じる者でもありません。おそらく私は、いわゆるごく一般的な日本人のイメージに近い部類の人間だと言えます。

次ではそれについて少し説明します。


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