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妖怪は世界を平和にする④

約6年にわたり、「妖怪アートプロジェクト」なるものに携わってきた筆者が、これまでに得た知識や経験を基にたどり着いた一つの結論「妖怪は世界を平和にする」について連載形式で述べていきます。

「怖い」という感情と妖怪

「妖怪」はなんとなく気持ち悪い、怖い存在であるということには異論はないと思います。もし仮に道を歩いていて、そんなものが向こうから近づいてきたら、どうでしょう?もちろん私は、後ずさりしてその場から逃げ出します。そう、妖怪は基本的には怖い存在である、ということです。

命を脅かす危険を回避するために「恐怖」は不可欠なものです。これは生存本能として備わっている重要な感情です。ですが、人類はこれを克服するために、家を作り、集団生活を送ることを覚えました。これによって、どう猛な外敵や自然災害、予想もつかない不幸な出来事から身を守り、生きていくために必要なことを役割分担することで、より高度で、効率的な営みを獲得したのです。これらは全て、身の安全が脅かされる恐怖に対抗するために生み出された人類の知恵といえます。すると人々は、恐怖という感情さえも楽しむようになってきました。これは妖怪に対する考え方も例外ではありません。

徳川幕府の時代、江戸の街では、お化けのようなものは娯楽の対象でした。「お化けはいないが、いることにして楽しもう」という考え方です。さらに明治時代になり、井上円了という先生が全国のあらゆる迷信を体系化することで「妖怪学」が生まれました。学問にもなってしまったことで、ますます不思議さや怖さは無くなってきたといえます。そして、宮田登という先生が近年に現れた妖怪として、「口裂け女」や「トイレの花子さん」などを事例に挙げておられますが、すでにアニメやドラマになっていることは周知のとおりです。すなわちこれらは、都市化が進み、社会が成熟してきたからこそ妖怪に対する恐怖心を娯楽に転換できた、ということができるでしょう。

今、人々が生命の危険をさらすような場面は、かなり少なくなっています。(もちろん、交通事故や喫煙の害、最近の疫病など、利便性や嗜好性などと引き換えに発生する新たな危機もありますが)そのような社会において、「怖い」を本気で感じる(感じられる)人は、想像力が豊かな人ということができます。怖がりは今や人生を楽しむための才能といってよいのです。

才能である怖がりについては、こちらの記事にも書いています。よろしければこちらもお読みください。

さて、次からはいよいよ本題に入っていきたいと思います。

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