【書籍】「小豆島・迷路のまちの小さな美術館の挑戦」(仮)を出版するためのクラウドファンディングを立ち上げました。
この本は、特別なスキルや経験のない普通のサラリーマンである著者が、移住先の小豆島で七転八倒し、様々な人に支えられながら地域の活性化に取り組み成長していった物語です。そして本を書くなんて全くの素人という著者が、どんな苦労を重ねながら執筆していくのか、果たして本は完成するのか、リアルタイムに共有できる仕組みであるハラハラドキドキのエンタメ要素満載なクラウドファンディングへのご招待です。
先日、こんな光景を見ました。
小さめのリュックを背負い「迷路のまち」の地図をひろげながら歩くカップル。迷路のようなまちだから、道に迷って時間がかかったのか少し険しい顔。もしかしたら途中でケンカをしたのかもしれません。でも急に顔をあげて「あった!ここが妖怪美術館だ」と見つけて、安堵の表情で受付に入っていく姿。その約2時間後、二人が受付のそばにある扉を開けて出てきて「アッ!ここが出口?ここに戻ってくるんだ!」「おもしろーい」などと言っている嬉しそうな笑顔。お腹がすいたね、とまた地図を広げて調べているのは、老舗の「ひよこ食堂」の人気メニュー「かつ丼たまご」。
私はそんな光景を見て「してやったり!」と心の中でガッツポーズするのです。なぜなら迷路のように入り組んだ街並みの面白さを感じていただき、よりディープな体験につながっている、と実感するからです。
小豆島は瀬戸内海で2番目に大きな島。外周120キロメートルの比較的大きな離島ですが、その西にある土庄本町(とのしょうほんまち)は、通称「迷路のまち」と呼ばれ、かつての島の中心的な商店街でした。ですが近年、人口減少や過疎化が進み、ショッピングモールの進出も影響して衰退していきました。
私がこの島に移住してきたのは2013年。小豆島は年間100万人が訪れる行楽地ですが、迷路のまちのその頃の観光客は年間1万人にも満たない寂しいまちでした。それが私がいる7年間のあいだに、約10万人が訪れるまちになったのです。
もちろん私一人でこれを実現したわけではありません。妖怪美術館を立ちあげるときの大きなきっかけと勇気をいただいた水族館プロデューサーの中村元さん。プロジェクトの母体となる小豆島ヘルシーランド株式会社の創業者であり、このまちを盛り上げようと2011年にアートプロジェクトを立ち上げた柳生好彦相談役。その長男であり立ち上げ当初からプロジェクトの中心を担い、妖怪美術館のキーアイコンにもなっている妖怪画家の柳生忠平館長。音声ガイドによって美術館の体験価値を大幅に向上させた株式会社on the tripの成瀬勇輝CEO、会社の上司や、同僚のスタッフ。これまで働いてくれたパートアルバイトの皆さん。など枚挙にいとまがありません。
ただ私はその中で誰よりもこのまちを盛り上げたいという気持ちが強く、移住してきてから誰よりも長い時間をかけてこのまちや事業のことを考えてきた、という自負があります。
私は福島県出身で小豆島には縁も所縁もありません。福島大学を卒業後、地元のテレビ局に就職して1年目から東京支社に配属されました。広告営業を約7年勤めたのちに、縁あってインターネットのニュースサイトに転職。ここでも8年ほど広告営業をしていました。そんなサラリーマンが心機一転、小豆島に移住。といっても脱サラで独立したわけではなく、オリーブ化粧品の通信販売事業をメインとする小豆島ヘルシーランド株式会社に転職をしました。
もともと瀬戸内海の温暖な気候が好きだったので、軽い気持ちでハローワークに登録していたところ、今の会社からオファーがありました。当時、東京から島に移住したばかりだった最初の上司と品川駅近くのルノアールで1時間ほど話をしただけで転職が決定。通常、移住といえばドラマティックな展開を期待されますが、そういったものではありませんでした。東京から小豆島に行くときも、福島から東京に行ったときと同じように単なる引っ越し程度の感覚だったのです。
しかし、小豆島に降り立ち、島の状況を見たときに衝撃が走りました。この島には自分の力で何かを成し遂げられる大きな可能性がある!という不思議な野望が湧き上がったのです。かつてはリゾート地として大変賑わっていたこの島も、その面影は消えつつあり、まちの中は閑散としていました。ただ、古びた建物や路地裏には何かがくすぶっているような気配があったのです。今思えばそれは妖怪で、私はそれに憑りつかれてしまったのかもしれません。
その後、会社が迷路のまちで「まち磨き」(創業者・柳生好彦が提唱した言葉で古いものを新しい価値観でとらえなおして価値を創造すること)の活動をしていると知って、ぜひこの事業に携わりたい、と思いました。
あらゆる分野で経験ゼロの私でしたが、就職活動で話せるくらいのささやかな成功体験はあります。学生時代、大学のダンスサークルの副会長を務め、仲間と一緒に県民ホールにてはじめての単独公演を立ち上げました。卒業後10年以上が経ち、後輩がいまだにそれを同じように続けていて、東北を代表するダンスサークルに成長していたのです。それを見たときに、自分たちが創りあげたものが続いていて、いつかそれが歴史になったことを目の当たりにすることができたのです。あの時の気持ちが今一度よみがえり、その心に灯がともったのです。
誰からも見向きもされないモノに価値を見出し、それに対して本気で取り組んだ先にある素晴らしい未来を想像できること。私はこれが、何かを成し遂げる上でのターニングポイントなのではないかと思います。
私は、このプロジェクトに参加して活動する中で、この迷路のまちが美術館や妖怪文化によって盛り上がり、大勢の人が楽しめる場所になる、ということを誰よりもリアルに想像することができたのだと思います。2017年の暮れにアートプロジェクトの代表に就任した際、私は活動の主軸を妖怪アートに転換し「妖怪美術館」を立ち上げるという誰もが疑問に思ったことを決めました。そして、それが地域の人たちにとって望ましいものとして受け入れてもらえるような土壌を年月をかけて辛抱強く作っていきました。
縁も所縁もなく移住してきたごく普通のサラリーマンが、島の気難しい重鎮たちにどのように受け入れられたのか。さらに妖怪という珍奇なコンテンツをどのようにしてまちの活性化につなげることができたのか。この7年間に出会った人たちとの対話を交えて綴っていきたいと思います。さらに小豆島の発展に欠かせない、大変魅力的な知られざる観光資源の取材を通して、「絶対に小豆島に行ってみたい」と思ってもらえるような物語を、一冊の本にまとめていきます。
ちなみに私はサラリーマンですから会社の規定である「副業禁止」を破ることができません。印税や執筆料など私への報酬は一切ありません。私はただ、一人でも多くの人にこの本を手に取っていただきたいのです。クラウドファンディングはその希望にぴったりの方法でした。
これから執筆のために、小豆島の色々な場所や様々な人に取材をしていきます。本を制作する過程を公開しながらすすめることで、その途中経過をクラウドファンディング応援者の皆さんと共有することができます。つまり、一緒にこの本を作る旅に出られるのです。今からとてもワクワクしています。このクラウドファンディングでの出版を通して、みんなで新しい文化を創っていきませんか?
ぜひ、応援よろしくお願いいたします!
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