北斎の凄さも、まちおこしも、結局逆輸入じゃないとわからない!?

ノンフィクション作家・神山典士さんの「知られざる北斎」(幻冬舎)を読みました。というか2019年頃に読んだのですが、本棚を整理していて再度ページをめくってみた次第。

浮世絵師・葛飾北斎が西洋絵画のアーティストに多大なる影響をあたえ、印象派が生まれるきっかけとなったことは比較的有名な話だとは思います。ただその影響度合いは、想像以上に半端なかった、というお話。(そしてその陰には北斎の人気拡大のきっかけとなったある重要人物がいました。そこがまた面白いのですが、それについてはぜひ本書をお読みになってください。)

北斎が登場した時代の西洋では写実的表現が主流でした。
そんなとき、カメラの前身ともいえる「カメラ・オブスキュラ」の登場を皮切りに「写真」が登場することで、写実的だった絵画の表現をどのように発展させていくべきか、みなが模索していた時代でした。

そんなときに、構図や色、質感などを大幅に抽象化した風景画が登場しました。それがまさしく葛飾北斎。西洋の画壇には衝撃が走ったのだろうと思います。ただ、その度合いや凄さは、どうしても実感が湧いてきません。

結局、北斎の凄さは、モネ、ゴッホ、セザンヌに至る「転換点」として位置づけ、彼らの作品の中に北斎のミーム(文化的遺伝子)を観ていく、ということで初めて浮き彫りになってくる、ということなのかもしれません。そんな観点から、改めて北斎や印象派絵画を観ると、まったく違った見え方になってきます。

ただ、そうなると、それって結局、北斎の凄さは逆輸入じゃないとわからないよね?ということ。実は本書では私のような態度の人間を「ウブ」だとして糾弾しています。申し訳ないです。

すなわち北斎を飲み込んだ西洋資本主義社会の裏には、異界の美術品を根こそぎ蒐集する「コレクショニズム」がはりついている。これが文化的な「ニューフロンティアの発見と占有、そして収奪」であることに気づかずに、「ジャポニズム」人気や、北斎が取り入れられたことに対して喜びを感じている時点で、西洋との美術品を介した「平和の戦争」に負けているということ。ホントごめんなさい。

ちなみに本書では、当時の人たちについて、現代の「町おこし」と対比しながらこのように述べられています。

現在でもふるさとの魅力を発掘し町おこしをするには「よそ者、若者、馬鹿者」といった「異文化の視点」が必要だと言われるが、今に始まったことではない。約150年前の明治維新期には、江戸期の庶民文化である浮世絵を、自ら価値として認めることができなかった。(「知られざる北斎」神山典士著、幻冬舎、23頁)

サラリーマン移住者として、東京から小豆島に渡って地域再生に取り組む私としては、色々と考えさせられる本書なのであります。

https://www.gentosha.co.jp/book/b11846.html

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