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愚者からの手紙 pt1

 娑婆から離れて、六回目の正月を迎えた。毎日足を止めては後を振り返ってみるのだけど、いつだって見えるのは今の自分。一体あの日からどのくらい前に進めているのか、そんなことを考えてみても答えは解らない。

 交錯する頭で、残り半分を切った刑期のことを考える。その度に、「早く時間が経過してほしい」と思う自分と「もっと時間がほしい」と思う自分がいることに気付く。残された刑期の中で、僕はどれだけ変われるのだろう。変われたとして、それが"マトモ"であるということを誰が判断するのだろうか。そんなことを考えた時、noteを始めてみようと思った。

 僕の書いた文字を読んでくれる人がいるのなら、その繋がりを通して自分自身を客観することができるのなら、マトモな人間に近付けるのかもしれない。その一歩として、僕が塀の中で経験、実感したことや、それらを通じて得た知見を綴って行きたい。有名でもないし、豊富な人生経験を培った訳でもない僕の考えなんて取るに足らないものなんだけど、そんな人間だからこそ、少しは身近に感じてもらえるのかもしれない。僕の主観を僕の言葉で伝えて、いつかそれが誰かの役に立ってくれたのなら多少は自分の成長を実感することが許されるのかもしれない。本気で変わる為、文字の鏡と向き合う。

 正直、僕はこのブログの仕組みをあまり理解できていなくて、その分、協力してくれている友人には苦労を掛けてる。だけど、というよりも"だからこそ"頼ることにした。読者の人たちと対話する機会があるのであれば、つまらないほど丁寧になるつもりもない。ありのまま遠慮しない自分で語り合いたい。勝手だけど、それが僕という人間だから。それに感謝や恩を返すのなら、時間を掛けてでも相手にとって忘れられないものにしたい。たとえ出会いが最悪であったとしても、別れを最良のものにする努力を、僕はして行きたいから。

 刑務所に居ると、時代の流れについて行けない自分を痛感するのだけど、娑婆の様子を見ていると、人と人との繋がりが稀薄になりつつあるのだと感じる。皮肉な話ではあるけど、僕が他者との繋がりを大切に思えているのは、社会から隔離されているからなのかもしれない。

 取り留めのない内容になってしまったけど、僕がnoteを始めた理由の一端は知ってもらえたんじゃないかな。これから先、時間を掛けて、自分という人間を省察していくことで良い影響を生み出すことができたのなら、それが僕にとっての成長であり、償いの一歩なのだろう。そんなことを、今日も考える。


     令和七年 一月十八日 囚人A


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