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明日も明後日も。

毎日頑張ってる皆さんお疲れ様です!
今回のnoteは「練習との向き合い方」です。
私が「走る」という単純な作業の中で意識しているところや気持ちなどを読み取って頂けると幸いです。
では!今回もお付き合いください!
⚠️あくまで私の意識していることや気持ちですので異論はあると思いますがご了承ください!
まだまだ私自身も未熟でこの競技の指導者に指導していただいている身であり、足りない部分も多くあります。それを承知した上で1人のランニングを愛する者としての視点で書きました!温かい目で見守って頂けると幸いです。笑

朝練は4:30起き

アラームの音が鳴り、眠い目を擦って身体を起こす。昨日の練習の身体の怠さを感じながらも、練習着に着替える。あたりはまだ暗闇で、凍てつく寒さの中、グラウンドに向かう。
毎日毎日外で練習していると「季節の匂い」に敏感になる。
過ぎてゆく時間を感じる。走るということは自分と対話をすること。繰り返しの毎日ですが、そんな日々が私はたまらなく好きです。

走ることは辛いことですか?
朝早起きして練習することは辛いことですか?

私は練習において最も重要なことは、練習に対してのやる気や新しい技術を取り入れることでもなく、「呼吸をするようにそれを毎日繰り返すことができるか。」ということが最も重要だと考えています。なにか特別なことを期待されたかもしれませんがこんなもんです。(笑)
実際にそのように生きています。
簡単な例を挙げると、今日めっちゃやる気あるから30km走ったろ!というよりやる気のない時に当たり前の15km程度のジョグを行うという姿勢を大切にしているということです。感情の起伏は時に良い結果を招きますが、同時にリスクも大きいように感じます。
競技者たる者いつでも全力で努力せねばならん!と思う人もいると思いますが、(実際に「競技者なのに」とダル絡みしてきた人が過去にいました)私も人間なので365日24時間競技というか競技以前に物事に対してやる気があるわけではありません。もちろん人並みにつらくて逃げたい場面もたくさんあります。そこで逃げないための、「呼吸をするように」なのです。私が窮地を乗り切るのに必要なのは、劇的な感情でもなく、やる気でもなく、呼吸をする様に当たり前にできる、習慣化された感情です。

いわゆる、当たり前を当たり前に、です。

高校生活で、

私の4:30起き生活は高校1年生から始まりました。15歳といえば思春期真っ盛りで、人格もある程度この時期に形成されると思います。その時期から4:30起きで練習をしていたことで私の早起きでの朝練は次第に早起きではなく、「普通の日常」に変わっていきました。もちろん最初は辛かったのを覚えています。実際高1のシーズンは5000mを15分23秒と決して速いと言われるタイムではありませんでした。
とは言え人間とは変化に順応していくものです。年齢を重ねるうちにそれが日常となり、成長にも繋がっていきました。
この当たり前の日常が今の生活にも生きています。
高校の恩師には感謝しかありません。辛かったけど。笑

大学生活だからこそ、

大学に入ってからは、高校のように管理された環境でなくなります。落ちぶれても道を正したり手を差し伸べてくれるような人はいません。仮に差し伸べてくれる人がいても結局走るのは自分なので、どこまででも転げ落ちられます。そのため自立して自分で這い上がっていくという要素が強いです。だからこそ呼吸をするように毎日同じ事を繰り返すということを大切にしています。更に言えば、長距離走の練習は動きで言えば「胴体をいかに速く移動させるか」ということに特化しているため、どの強いチームや有名ランナーの練習メニューを見ても、特別変わったことはないと思います。私自身も特に変わったことはしていません。これからするつもりもありません。

「呼吸をするように」

どんなことがあっても「呼吸するように同じ事を繰り返す」
のです。疲れたから、足が重たいから、監督やコーチに怒られたから、先輩に怒られたからとか、やる気を削ぐ要因を探せばキリがありません。基本的に外的要因はコントロールが効かないので、コントロールできる要因を大切にしています。

これだけを読むと「じゃあ今のまま継続すれば良いや」と思いがちですが、実はそれだけではダメだと思います。笑
これは抽象的な表現で且つ矛盾してると思うのですが、「普通のアップデート」はするべきだと思います。
わかりづらい表現で申し訳ありませんが、簡単に言えば三日坊主にならないということです。新しい技術を取り入れてもいちいち気合を入れなければできないというのはコスパが悪いです。ですが、成長する上でやらなければいけないコスパの悪い課題にも直面すると思います。その時課題を一気に取り組むというよりは本当にちょっとずつ、少しずつのイメージにして今までの練習の中にちょっとずつ取り込んでいきます。そうするといつのまにか「普通のアップデート」が完了し、1年前の練習とはやってることは違くても、気持ちは辛くないな、身体は辛くないな、みたいな、できていなかったことも気づいたらできてたという結果に繋がるのだと思います。普通のアップデートという視点で考えると、合宿というものは普通をアップデートするためにとても良い環境やタイミングであると感じます。合宿で強くなるという気持ちよりは、合宿で得た事を継続できるかという観点で練習に取り組んでいます。


最後に

正直私自身もまだ人に誇れるような結果がある訳ではありません。これを書いて有名人気取りで他人に影響を及ぼしたい訳でもありません。ただ少しでも取り組みを知ってもらいたいという気持ちや、自分の今の感情の記録、そして文章を書くという練習のためにnoteを利用して今このように文字を起こしています。
現時点でこのようなnoteを書きましたが、また来年時間が経った時、私自身の普通のアップデートが完了してまた違った視点でnoteを書けることを自分に期待して今回は締めくくりたいと思います。
今回も読んでいただきありがとうございました。

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