【満員御礼】下北沢「気流舎」にて詩作のワークショップをします。
下北沢の書店、気流舎にて詩作のワークショップをします。
早稲田の喫茶店「早苗」にて今年の3月にワークショップを催しましたが、気流舎にてワークショップをしたのは昨年の12月15日以来、久しぶりの開催です。
ホームページにあるように、店内は4坪ほどの広さのため、少人数でゆっくり、じっくりと詩について話し、読み、書く、会になると思います。
10月26日の土曜日、13時30分からです。
会費は1000円+ワンドリンクオーダー制。
お申し込みは、exnqc84070@yahoo.co.jp(気流舎)までお願いします。
先着順となります、ご了承ください。5〜6名ほどを想定しています。
さて、自分自身の備忘録も兼ねて、そしてどのような雰囲気か予めお知らせするために、詩作のワークショップで何をするのか、を書き連ねてゆきたいと思います。
詩に興味を持っている、あるいは詩集を読むのが好きだ、という方は少なくないと思います。それなのに、いざ詩を書くとなると難しいハードルが設定されているように思えてきます。詩に関するイベントやシンポジウムは、出来上がった詩に対しての批評を為すものが多く、詩が生まれる瞬間に立ち会うという機会は多くないのが現状です。
現に、目黒学園での講座では、創作と鑑賞を二本柱にすえた講座となっており、受講生には毎月詩の創作を講座の前に予め提出してもらっています。
確かに、作り上げた作品への批評を求めているという声はありますが、ワークショップでは、その前段階である、「詩はそもそもどうやって書くのか」、「私の書いているものは詩なのか」という点にフォーカスしてゆきたいと思っています。そしてこの、「私の書いているものは詩なのか」というものは、決して初心者や入門者とされる人への課題ではなく、すべての詩を書く人が、詩を書き続ける限り突きつけられた問いであると考えています。
前回、12月15日の回では、まず「詩作のワークショップですが、詩は書きません」と伝えました。
続けて、参加者それぞれに自己紹介をしてもらいました。
そして自己紹介のあと、「偽の自己紹介」をしてもらいました。
当たり前といえば、当たり前の話ですが、詩作のワークショップに参加する方は、「詩」を書くために来ています。それぞれが思う「詩」を思い描いて、あるいは幾許かの不安のなかで、漠然と「詩」のような何かを手探りで書き出そうとしています。このようなある種の緊張状態状況のなかで書かれた「詩」は、多くの場合ステロタイプの「詩」にしかなり得ないと考えます。そして、極めて表層的な「きれいな」言葉によってまとめ上げられたものになってしまいがちです。「詩作のワークショップですが、詩は書かない」というレトリックは、参加者によってまずは固められている「詩」という観念を壊し、取り除くことから詩作が始まると考えているためです。
自己紹介も同様に、名前、あるいは職業、あるいは興味など、社会的生き物としての私たちは、外行きの言葉を着飾ってこれまで幾度も繰り返してきた自己紹介をすることに慣れてしまっています。その社会的生き物としての私たちの外套をまずは脱ぐ必要があります。そのため「偽の自己紹介」によって、「私」あるいは自意識をまずは取り外す試みをしました。
海賊になりたい、とか、実は宇宙人です、とか、参加者の内なる意識をのぞかせているのか、コミカルな話題を作っているのか、それでも他者に向けられた自意識を完全に手放すことは難しいです。けれど、わずかに手放すことができた自意識をもつ「私」が書く詩は、少しだけ自由に、楽になっているものだと思います。
「偽の自己紹介」のあとは、気流舎のある場所「下北沢」という場所について「下北沢」という単語を使わずに話してみる/書いてみる、ということをしました。
この狙いは、自身の言葉で書くということです。詩を書いていて考えるのは、誰しもが用いている手垢のついた言葉を用いてしまうことへの危機感です。
たとえば、「美しい空」、「きれいな街」という詩句があったとして、
感じ取りたいのは、その人(作者とは限りませんが)にとってどのように「美しい」のか、どのように「きれいな」のかを知りたい、感じたい、分かち合いたいと考えます。世の中には「詩らしいことば」に溢れています。そしてそれをつなぎ合わせると、「なんとなく詩のようななにか」が生まれてくるのです。
詩作のワークショップでは、不器用でも、乱雑でも、構わない、参加者それぞれの言葉によって編まれた詩を、家に持って帰ってもらいたいという思いがあります。「下北沢」という街に対していだく思いは人それぞれです。それを考え、言葉にすると、面白いようにそれぞれから異なる「下北沢」が浮かびあがります。
次に、気流舎の膨大な蔵書の中から任意の一冊を抜き出し、その本から無作為に選んだページの一節を引用して言葉を書き連ねるということをしました。
他者の言葉の引用を組み込んで書かれたものは、自己のものでありながら、他者のもののようでもある、不可思議なものとなります。自分でもない、他人でもない、この奇妙な浮遊感によって、自意識は薄まり、ようやく自己の言葉によって詩が書かれてゆくと感じます。「詩は自己表現ではない」と、常々考えているのですが、言葉によって自己と他者を今一度定義することを試みている、このマージナルな部分に詩はある、そのように考えています。
ここまでのプログラムで、人数にもよりますが、90分ほど経つかと思います。ここに「偽の記憶」を書き留めたり、あるいは参加者の書いたもの、結果として詩になっていったものを、それぞれ感想を言い合うというものを付け足すと、120分ほどになるかと思います。
備忘録的な意味合いで書き進めたものですが、詩に限らず、他の表現ジャンルにも応用が効くと考えております。もしワークショップの運用等ご相談などありましたらお気軽にご連絡ください。
また、早稲田の喫茶店「早苗」での、劇作家・演出家である司田由幸さんとの「詩を生む身体」も近日第2回開催の計画をしております。
10月26日、13時30分より、下北沢気流舎での詩作ワークショップ、ご検討ください。
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