漫才「読書感想文」

甲 (舞台下手の袖に向かって)もう、ついてこないで
乙 ……。
甲 もう、あらかた火に焚べたから、ついてこないで
乙 ……。
甲 (何事もなかったように)今日はネアンデルタール人と光についての続きです
乙 ……。
甲 (気にせず)あー、やっぱり阪急塚口駅の伊丹線のカーブのことが気になりますね
乙 (小声で)カーブ……?
甲 そう来たか、そう曲がるんだ、そうやって曲がっていくんだ、あなたもわたしを捨てて曲がるんです、曲がっていかれました、曲がってゆかれましたか? 曲がってゆかれるのでしょうか?
乙 (小声で)ゆかれるのでしょうか……?
甲 (急に落ち込み)ああ、もうダメだ。もうダメだ。読書感想文を書こう
乙 読書……、感想文?
甲 アインシュタイン博士はこう言いました。バイオリンが好き。バイオリンが好き! バイオリンが好きなわたしはあなたが好き! と
乙 相対性理論の人?
甲(無視して)今日は読書感想文を書いてきたんで、ごめんなさい、すごくさみしいです
乙(演技っぽく)大丈夫ですよ、(手をとって)大丈夫
甲(見つめあって)ありがとう。じゃあ早速書いてきたの読んでいいですか
乙 止める術をしらないので……、どうぞ
甲(声色を作って)「アメダ・ボボが今日も冷めかけたピザを食べるのは、寂しいからではなく、亡くなった花屋の娘に会えるかもしれないからだ。」で始まるこの小説『ニトログリセリンと多様な祝日』を読み始めたのは、ぼくが15歳のころで、読み終えたら39歳になっていた。うかうかしている間に24年間経ったとも言えるし、読み終えるのに24年間もかかったとも言えるだろう。これを書いている今、マルセイユからの地中海をゆく船上でぼくは、ホテルのロビーに充電器を置き忘れたことに気づいた。けれど、置き忘れていないかもしれない。「炙ったナイフでバターを切ってみろ。溶けてなくなっちまう。本当は最初からなにもなかったのだから」とアメダ・ボボが言うように、
乙 え、誰も知らない小説だ
甲 そして、あのキュメルメ伯爵夫人の爆死のシーンが(笑いながら)悲しくて……
乙 情緒が…… 
甲 でもちょっと待って。(誰もいない方向を指差し)マスター、マティーニを彼女に
乙 お、おお、情報量が過剰になってきた
甲 「駅からの道、光は灯されていて愛していると言えるのでしょうか」というシーンがさ! それでさ! どう思うよ?
乙 どう? とは?
甲 (我に返って)渋谷公会堂、渋谷、こうかい、どう? 渋谷後悔、どう? 渋谷、こうかい? 道、はい、おはようございます。ことばで作られたファンタジー
乙 チャクラが開いてゆく……
甲 急ぎ過ぎたようです。(お茶のペットボトルを取り出して一口飲み)ここから後半なので、ゆっくりしていってください
乙 お気遣い……、感謝します
甲 でもやっぱり、アメダ・ボボはさみしかったんだと思うな。だっていつも三番街のメトロで口笛を吹いていたでしょう。あれは誰かに聞かせるためじゃなくて、自分はここにいるってことを自分に届かせるためだと思うな
乙 誰も知らない小説の話が続いている……、
甲 温めたポトフの味を知っているやつは本物なんだっていう、あのおじさん、誰だっけ、あの
乙 え、知りませんけれど
甲(急に落ち込み)知っているってなんだろう。わたしのことも知らないのに、触らないで! トムとトーマス、そしてクレアラシル! わたしたちはいつも一緒だった……、
乙 にきびを治す……?
甲 そしてアメダ・ボボは旅にでるんだ、最後に。旅に出るんだ、小説を書くために
乙 あ、アメダ・ボボさんは小説を書かれる旅にでるんですね、すみません、知らなくて
甲(無視して)渋谷駅西口から東口まで10分はかかるぞ
乙 それは、感想文のなかの話ですか
甲 しかし! アメダ・ボボならさほどかからぬ
乙 あ、アメダ・ボボ、日本にいらしたんですね
甲 青山ブックセンターに行くだろう、そして『ニトログリセリンと多様な祝日』を手にすることだろう
乙 誰が? 誰の? 
甲 けれどわからない、アメダ・ボボはわからない、わからない、(ポケットをまさぐり)これはひまわりのたね、わかる
乙 よかった。よかったです。
甲 まだわからないことある、あいさつのあとにあいさつをするときのあいさつの強さが
乙 あー、それは今後の課題ですね
甲 (うなずく)

暗転




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