見出し画像

「退職」を伝えた日

2日前にnoteを投稿して、そして昨日、会社へ退職の意思を伝えました。伝える前は、少し戸惑ったけど、でも、これまでの経緯から覚悟は決まっており、出社直後、すぐに上長へ声をかけ、「退職したい」と伝えました。

「おはようございます。すみません、おいそがしいところ。ちょっとお時間いいでしょうか。」

「あの、退職させて頂きたいです」

私の場合は幸いにも、人に恵まれ(もちろん、言い方がきつかったり、性格が合わなくて、嫌いなスタッフの1人や2人はいますが)、退職を伝えた上長はとても理解がある方で、少し話をして、また、その後トントンと、更に上の上司、人事担当者との面談がありました。

突然だった事もあり、何か問題があったのか、就業過多や人為的なパワハラ、コンプライアンス規定に反した行いを受けたのかなど、自身の事をはじめ、社内規定も併用して質疑応答を行いました。結論として、「自身の気持ちの問題」が退職に至っており、これ以上続けて行くことが出来ない。というのが答えなのですが、実は、ここ1、2年、イメージとして「ずっと薄暗い、階層の低いところを歩いている」ような気持ちで過ごしている事が思い浮かべられ、全てとは言いませんが、日常を楽しい気持ちで過ごせていない自分がおり、正直にその事も伝えました。

一般的に精神状態が良い状態でないと括った場合、思いつくのは「鬱」ですが、軽度である可能性はあると自覚しつつも、「鬱」にはまだまだ、なっていないし、なるとも思っていません。産業医を通したカウンセリングの勧めもお話を頂きましたが、そこまでは至っていないと思っているのでお断りしました。なかなか心の内を人へ話し、相手に伝えるのは難しい事だなと改めて感じました。

そのような面談を続けている中、最も感情が込み上げてきた事がありました。

それは、「負い目」です。

私の社内での立場は中間的なポジションなのですが、所属している部署の大半は20代前半~後半の若手スタッフです。自分からは与えられても、得るものがないと思って仕事をしており、「学べない環境では自分が成長できない」と思っていたのも退職理由でした。でも、何か得るものを見つけようと、日々、若手スタッフの行動見て、話しをしたり、一緒に仕事をしていると、「自分との一番の違い」に気付かされました。

それは、「一生懸命取り組んでいる」という事です。

社会に出て間もなく、社会に出れば理不尽な日常があり、多くの物事がわからないながらも、お客様や仕事に対して、必死で懸命に取り組んでいる姿が見られ、「半端な気持ちで仕事をしている自分」が惨めに思え感情が込み上げてきました。

「一生懸命になにかをする事」は、中途半端な経験や才能を超えて魅力的でそして、とても輝いて見えます。

退職の意思は変わりませんが、夢中になれる事に一生懸命に取りむことの大切さに気づかされ、方向を見失わず、自身のテーマである「人生を楽しむこと」を、「行動する事」で見つけて行こうと思いました。

退職日について、規定では退職の申し出から1か月後が最短での退職日となります。しかし、現状の社内人員状況もあり、私の一方的な判断だけを押し付けて退職する事は考えていなかった為、会社側からして、いつまで働く必要があるかの条件も踏まえて相談したい旨も伝え、現在調整中です。

一歩前進した事を後ろ向きでなく、明るく前向きにとらえ、毎日を大切に進んでいこうと思っています。

「行動すること 知識はあとからついてくる」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?