目から怪光線!
最近、小説もどきを書くようになったり、こんな連載っぽいことを始めたりしたせいで、以前よりも言葉に対して敏感になった気がします。
そんなある日、ふと気になった言葉がありました。
怪光線。
よく「目から怪光線」とかいうアレです。不思議じゃないですか、怪光線。この言葉はいったいどんな文脈から産まれたんだろう。普通には絶対出てこない言葉だと思いませんか。
・ 光線 ← なんかわかる。光の線ですね。ビームみたいなやつ。
・ 怪光線 ← ふぁ!?
ストレートに考えれば「原理不明な謎の光線」ぐらいの意味だと思うんですけど、それが当たり前に使われているのが凄い。みんな普通に「目から怪光線」とか言っちゃってる。なんだこれ。
まず最初に思ったのが「少なくとも明治以降に造られた言葉だろう」ということでした。僕らが日常で使っている熟語、そのほとんどは明治以降に造られたものですからね。
そして次に思ったのが、ニコラ・テスラとか、そういった科学といかがわしさの境界が曖昧だった頃、そんな時代の文脈がその背景にあるんじゃないか…ということでした。
そしておもむろにスマッホンで1分ほどピコピコした結果、おっ?
なんだか怪光線の兄弟みたいなやつが出てきました。
怪力光線…!
すごい響きだ。絶対に現代人からは出てこない言語センス。しかも「かいりき」じゃなくて「くわいりき」ですよ。文語体。格好良すぎる。
ということで、ひとまず僕の中では「H・G・ウェルズなどの古典SFが産み出された時代。科学が急速に発展しつつも、今よりもいかがわしさを持っていた頃、その時代背景の中から指向性エネルギー兵器のファンタジーが産み出された。そしてその日本語訳のバリエーションとして、おそらく怪力線、怪力光線と並び怪光線も造り出されたに違いない。たぶん」ということで納得できたのでした。(独自研究、要出典。)
それにしても。このいかがわしさと科学の境界が曖昧だった当時の熱病のようなファンタジーは、なんだか想像力を掻き立てられますね。
特にこの「機械化」ってやつ。Amazonの紹介イメージを見ていると表紙の巨大戦車含め、なんだかクラクラしてくるぐらいの病的な熱量を感じます。あの戦時中のファンタジーなので、それはある意味では当たり前ではあるんですが。
そして良くも悪くも日本のコンテンツが持っている独特の面白みは、こういった夜郎自大っぷりというか、インフレした感覚というか、そういったものと表裏一体なのかな…とも思ったのでした。
不勉強にもこの小松崎茂という人のことは知らなかったんですが、関連の本を何冊か買ってみようかな…。
なお、この文章にオチはありません!