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【おうち de しゃっふる】 × 小島よしお 〜これまでとこれから〜

今回はステイホーム企画 "おうち de しゃっふる vol.5" ということで、Instagramライブにて対談形式でお届けした、
小島よしお(お笑い芸人) × Ami(しゃっふるプロデューサー)
のトークセッションログをお送りします。

お笑い芸人として活躍する小島よしおさんがこれまでにどのようなキャリアを積み重ね、現在のスタイルを確立したのか、また、Youtubeでの発信を通じて思うことなどをAmiとの対談を通して聞くことができました。

ーーしゃっふると小島さんの出会い

早速、木宮商店さんの可愛いTシャツをまとった小島さんが登場。しゃっふるプロデューサーであるAmiとの出会いからトークは始まりました。

小島:木宮商店で子供たち向けに絵本の読み聞かせをさせてもらったのがきっかけでしたよね。

Ami:そうでしたね。その時、なんとなくネットで "11月16日 なんの日" って検索してみたら "小島よしお 誕生日" って出てきて。(笑)
私も前から木宮商店さんとは知り合いで、よしおさんと木宮商店さんが繋がりがあるってのは耳に入っていたので、「これは何かの縁かもしれない!」と思ってご連絡させていただいたんですよ。

小島:そうそう。それであの日に初めて木宮商店で会ったって感じですよね。そしたら、急にAmiちゃんが「ぐり〜んりぷるに来てください」って誘ってくれて。
それでAmiちゃんに誘われるがままに着いていったら、何人もの "ぐり〜んりぷる"のお客さんがいて、その全く初対面の人たちに囲まれて誕生日を祝われるっていうサプライズをしてくれましたね(笑)
これに関しては僕もなかなか人生で経験したことなかったですね。知らない人に連れて行かれ、知らない人に祝われるっていうね。

ーー「おっぱっぴー」が世に広まるまで

Ami:私がよく、よしおさんをTVで観てた時代って、よしおさんは服もあまり着ていない状態で「おっぱっぴー」をやっている時だったので結構今の感じとは違いますよね。

小島:ああ、あの頃ねえ。本当にもう "向こう見ず" な感じでやっていましたから本当にもう「そんなの関係ねえ」っていう気持ちで現場では動いてましたからね。

Ami:あれってよしおさんが何歳くらいの時だったんですか?

小島:あれはー、27歳の頃ですね。大学在学中に「WAGE」っていうお笑いグループ5人組でやっていて、それが20歳の時。でそれが5年ちょっとで解散しちゃったんで、ピン芸人になったんですよ。その頃に服を脱ぎはじめたんですよね。(裸姿での「おっぱっぴー」が大流行した頃)

Ami:「WAGE」の頃は服は着てたんですか?

小島:「WAGE」の頃は5人組のコントグループで、かもめんたるっていう以前キングオブコントで優勝した2人組も一緒にやってて、だから当時はあまり服を脱ぐってことはそんなになかったです。(当時は本格的なコントグループと言われていた)
サウナのコントとか、ライフセーバーのコントとかくらいでしたよ、裸になってたのは(笑)

Ami:それで解散したのちに思い立って服を脱いでみたってことなんですね。(笑)

小島:ちょっと脱いでみようかなっていうね。なんか服を脱いで怖い話をしてみたりとかしていて、その流れで、服脱いじゃった「下手こいた〜」って感じだったんですよね、当時はね。

Ami:じゃあピンになってから、初めてのネタが「そんなの関係ねえ」だったんですか?

小島:いや、そんなことはなくて。当時は怖い話が多かったですね。なんか大根の皮をむきながら怖い話をしたりとか、体にオイル塗りながら怖い話をしたりとか。(笑)
そういう暗転どよめき、というか「ワケわかんないやつ出てきたな」って感じのネタをやってたんですよ。

Ami:そうだったんですね。その後、ブレークしたきっかけってなんだったんですか?

小島:きっかけは、「おもしろ荘」っていうナインティナインさんの番組に出演させてもらって、同時期に「笑いの金メダル」っていう番組での出演もあって世に出ることができたんですよ。
その放送第1回目の「おもしろ荘」の撮影のときに、一般のお客さんの観覧も入れていない中、スタッフさんの前でネタを披露するって状況だったんですよね。それで、そこにいたスタッフさんとか、ナイナイさんとかに笑ってもらって、(売れ始めた)って感じですよ。

Ami:(今現在、Youtubeチャンネル"おっぱっぴー小学校"で算数について教えていますが、)もともと子供向けに考えてネタづくりをしていたんですか?
なんか「おっぱっぴー」とかすごく音が可愛いじゃないですか。

小島:いや、もうノリですよね。当時は飲み会とかもたくさんありましたし、そういう流れと場のノリに合わせて五感のいい感じで思いついたんですよね。それをただ「そんなの関係ねえ」の後にくっつけたってだけで。(笑)

Ami:すごい高くジャンプしたりもしてましたしね。すごいなって思って子供ながら観てました。

小島:いろんな見方があるもんですね。(笑)

Ami:よしおさん、いつも海パンを履いてネタをされてましたけど、あれっていくつもレパートリーがあるんですか?

小島:(大量の海パンをおもむろにもってきてくれて)これ全部海パンですよ。

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Ami:それはもうその日履く海パンは気分で決めるんですか?

小島:いやこの海パンたちはほとんど履かないです。(笑)イベントとか広告の仕事がきたときに「こういう色の海パンありますか」って聞かれて使うときはありますけどね。

Ami:オフのときに海に行ったりした時もガチ海パン(ブーメラン型の海水パンツ)ですか?

小島:結婚してから奥さんと旅行にいくときはもう履かないですけどね。なんていうんですかね、こう、プライベートの、布が多めの、水着を履きます。(笑)
そういえば、前にオーダーメイドの海パンを2種類作ったんですよ。これ、何の色か分かりますか?(写真下)

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Ami:ああ、お茶漬けの!永◯園!

小島:いやいやいや、まぁそう見えてしまったのなら仕方ないですけど、、、。(笑)
オリンピックカラーですよ。黒黄青赤緑。Amiちゃんはお店のお客さんでアスリートの方がたくさんいらっしゃるんだから(知っとかないと)。(笑)
2枚目もお見せしましょうかね。こっち、何色か分かります?(写真下)これはもちろんAmiちゃんなら分かりますよね?

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Ami:信号?

小島:(笑)
ちょっとー。(笑)もう正解言いますね。パラリンピックの色ですよ。 アギトカラーだったかな?(スリー・アギトスとよばれるパラリンピックのモチーフの色)

Ami:、、、わかってましたよ(笑)そうですよね。
うち(ぐり〜んりぷる)にもパラリンピアンやオリンピアンの方がお客様として来てくれているので、ぜひその人たちの前で披露してほしいです。

小島:そうですね、でもそこで、アスリート達に「その色なんですか?」って聞かれたらもう立ち直れないですけどね。(笑)

Ami:そしたら次はデフリンピックカラー(*1)の海パンも作ってくださいよ。色は4色だったかな。
(*1:デフリンピックとは、聴覚に障害のあるアスリート達が出場するスポーツの祭典。)

ーー蔵前の街について

Ami:よしおさんが蔵前で好きなお店ってどこですか?

小島:たくさんありますよー。ダンデライオンとかね。あそこって日本で初めて出店されたお店らしいですよね。
あとは木宮商店さんもすごく個性的な洋服を扱ってていいですよね。小森屋商店なんかもちょくちょく行ったりはしますね。

Ami:へえー。

小島:あとはWEEKENDER SHOPとかね。

Ami:その前にあるSOL'S COFFEEさんも美味しいですよね。その奥にあるCOFFEE NOVAさんもおすすめです。近くにはブルーバナナさんもあります。
なんか蔵前って歩いてるとどんどんいい感じのお店が出てきますよね。

小島:僕まだいけてないですけど、ラテアートで世界一になった世界一になったHAT COFFEEさんも行ってみたいんですよね。

Ami:あとは夜だと、バーをやっているBridgeさんとか。

小島Nuiもありますもんね。あとはブルージュースとか。ここはバーなんですけど、美味しいごはんを出してくれるんですよ。

Ami:そういえば、蔵前商店街っていう企画もはじまっているみたいですね。
老舗のお店の皆さんが集まって活動をしていて、私達しゃっふるも今後関わっていくことになっているので、蔵前を中からも外からも盛り上げて、もっと沢山の方に来ていただきたいなと思ってます。

小島:へえー。そういや、蔵前って東京のブルックリンって呼ばれてるんですよね。
僕も以前よりそう思ってましたけど。(笑)

Ami:そうなんですね。先駆けて。(笑)

ーーそんなの関係ねえ

小島:いまさ、こうやってAmiちゃんと話してるけど、昔はシャイだったんだって?

Ami:人見知りでしたね。でもそれは変えなきゃなって思ったきっかけがあったんです。
高校生の時にダンス部を作るってなったんですけど、そのときに私自身が「シャイなんです」って言ってても何も始まらないと思ったんです。あと、人が自分をどう思うかっていう印象の部分って自分が何かを継続的に行っていけば変えられるってことに気づいたんですよね。当時はとても周りの目を気にするタイプだったので。

小島:あーつまり本質的にいうとー、”そんなの関係ねえ”ってことですね。(笑)

Ami:、、はい。(笑)
よしおさんは、27歳のときに芸人としてブレークしましたけど、その後とかになんかこう気持ち的に落ち込んだりすることはなかったんですか?

小島:まぁ僕自身、割と明るい性格なので気持ち的な部分では"落ちた"と感じることはなかったですね。
ただやっぱり、一気に当時世に出ることができた分、その後の落差的なものはありました。でもね、お母さんの影響なのかな、引っ込み思案みたいなものはないんですよね。

Ami:"そんなの関係ねえ"的な?(笑)

小島:そうなのよ。(笑)

Ami:周りの評価に振り回されてたらもったいないですよね。

小島:僕なんか「今年で消える芸人ランキング」で3年連続1位になってますから。そこでまあ「消えたくないふたり」っていうライブを2人ではじめたりとかね。ぴーや。
(活躍できているのも、)周りのみなさんのおかげですよ。いまだとYoutubeチャンネル「おっぱっぴー小学校」もやってますし。もう5年間ほどYoutubeやってきて、再生回数とかも全然だったんですけどね。「おっぱっぴー小学校」を1ヶ月ちょっと前くらいから始めて、だんだん伸びてきました。

Ami:おっぱっぴー小学校!

小島:これも人に教えてもらって始めた企画なんですけどね。なんか、自分の人生の中の大事な場面とか、そういうときは自分で決めるというよりは、誰かの助言みたいなものがあって動いているな、と思います。

Ami:そうなんですね。今は「おっぱっぴー小学校」をやっていますが、この先に何か目標のようなものはあるんですか?

小島:あえて言うなら、今やっている「おっぱっぴー小学校」の動画をどんどん撮っていく、ということですかね。それで、近々配信されるんですけど、「おっぱっぴー小学校」の授業を英語にして、吹き替えで撮ったんですよ。

Ami:ワイルド、、、ワールド、"ワールドワイド"ですね!(笑)

小島:(笑)

今回はコロナ禍でのソーシャルディスタンスを保ってのトークセッションを小島よしおさんと共にお送りしました。
オンラインでの空間だからこそ、ここまである意味近い距離でお話することができたのかなとも思っています。
裸に海パン姿ではない、どこか知的な小島よしおさんを垣間見ることができ、こんな状況下でも、前を向いてポジティブに活動していくことの大切さを改めて思い出すことが出来た気がします。


Written by Tomoki