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【各紙誌で話題】懐かしいだけじゃない!「あの頃」が蘇る長編――書評・藤田香織氏

4月の発売以降、「日経新聞」「週刊朝日」「日刊ゲンダイ」など、様々な媒体で取り上げられている『雪と心臓』
著者は、2016年、伊坂幸太郎氏、貴志祐介氏、道尾秀介氏が選考委員を務める新潮ミステリー大賞を受賞した期待の新人作家、生馬直樹さん。

クリスマスの夜に起きた悲劇。燃え盛る民家から少女を救い出した男は、なぜかそのまま少女を連れ去ってしまう。ヒーローから一転、犯罪者になった男の運命は。そこには、ある双子にまつわる物語があった──。
これまでとは異なる、青春小説の形を提示した作品です。

★一気読みを推奨します ――『雪と心臓』レビュー/吉田大助(ライター)
★「過去イチの後味」と評された青春ミステリ『雪と心臓』プロローグ全文公開!

書評家、書店員の方から、続々と感想を頂いております。
ここでは、書評家、藤田香織さんの書評を掲載いたします。
ぜひご一読いただけますと幸いです。

【書評】懐かしいだけじゃない!「あの頃」が蘇る長編 評者:藤田香織(書評家)

 読書で「扉を開く」といえば、未知なる世界へと続くイメージがある。ひとつの物語をきっかけに、今まで知らなかった物事に触れ自分の世界がぐっと広がる興奮は、本読みであれば誰しも経験があるだろう。
 けれど生馬直樹の小説はちょっと違う。開かれた扉をくぐると、読者は既知の世界へ踏み出すことになる。特異なのは、それが単に懐かしいあるあるエピソードに頰が緩むものではなく、忘れようとしてきた物事や感情までもが鮮やかに蘇ってくるという点にある。なのに、それが病みつきになる。圧倒的なリアリティに、惹き付けられてしまうのだ。
 二〇一六年、第三回新潮ミステリー大賞を受賞した「グッバイ・ボーイ」を改題し、翌年『夏をなくした少年たち』でデビューした作者の三冊目となる本書もまた、読者に容赦なく「あの頃」を突き付ける。
 幕開けとなるのは二〇一二年のクリスマス。不慮の火災に見舞われ燃えさかる家の二階に、十歳の少女が取り残されていた。半狂乱で助けを求める母親も、取り巻く周辺住民たちも為すすべがないなか、通りすがりの男が躊躇うことなく火中へと飛び込み、少女を抱きかかえ救出する。しかし、男は次の瞬間、少女を自分の車に押し込み逃走。パトカーに追われ猛スピードで車を走らせた挙句、大事故を起こす。一体男は何者なのか。どうしてこんな奇妙な行動をとったのか─。
 衝撃的なプロローグから一転、六章からなる本文では、主人公・里居勇帆の小学五年生から高校三年生までのエピソードが語られていく。有能組と残念組。友達関係における勝ち負けと平等。勉強、運動、美術や音楽の才能、人間として面白いかつまらないか、毎日様々な物事に優劣がつけられていて、自分は概ね下位をさまよっていると勇帆は思う。
 勇帆には双子の姉・帆名がいるのだが、ゲーム以外は取り柄のない弟と違って、彼女は勝気で好戦的で常識外れなところが多々ありながらも、全てにおいて優秀で、そんな姉弟の差異が物語の核となっている。双子とはいえ、勇帆と帆名では、見ているもの、見えているものがまるで違う。〈─自分に自信があって、だからだめな人が嫌いで、そして差別が得意なの、あたしたちのお父さん〉。理解できない帆名の数々の言動を、勇帆が納得するまでのタイムラグが絶妙に効いている。
 気恥ずかしくて痛痒くて、どうしようもなく息苦しくて、なのに上手く言葉にできなかったあの頃の気持ちが溢れ出す物語だ。前二作同様「後悔」という重いテーマも内包している。苦くて冷たい。けれど、そこに確かな温かさがあり、心が動き出すのだ。最後の一行を読み終えた瞬間、目を閉じて祈った。勇帆のことを、そして生馬直樹の活躍を。

(「小説すばる」5月号転載)


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