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僕とバズの10年

8月29日、10年連れ添った愛犬バズが永眠した。

その日の朝も夏らしい暑くなりそうな朝だった。この頃は日の出も少し遅くなり始めていて、朝の散歩に出たのは7時前後くらいだったと思う。
山の向こうから昇り始めた太陽が徐々に見えてきて、空気は比較的涼しかったものの、やはりまだ陽が直接当たると暑いなと感じた。
少し早めに切り上げようと、普段より少し短めの散歩ルートに変更した。

取り敢えず毎日の日課として、帰る前に今日の波の具合を見ておきたく、海の方へ歩き出す。幹線道路の横断歩道で信号待ち。
横断歩道の向こう側はもう海だ。
向こう岸の海へ降りる階段に近所の友人が座っていることに気付き、信号待ちの横断歩道越しこちらに向けている友人の背中を携帯のカメラで写真を撮る。
そうこうしている内に信号が青になった。
横断歩道を渡り始めた僕に、向こう岸の友人も気付いてこちらを振り返る。
そうして横断歩道を真ん中くらいまで歩いた瞬間

ドンッ!!!

鈍い音と共に車に轢かれた。
僕と同じ進行方向の道路からやってきた車が、僕が渡っている横断歩道側へ右折してきて、その車がなんとなく僕の左目の視界の隅に入っていることは認識していた。
ただ、停止するだろうと思っていた。決して見通しの悪い交差点ではなかったから。右折と言っても、右折する随分前の距離の箇所からその横断歩道は見えるような位置関係だったから。
(それは後日警察の調書でも確認が出来ており、現場を見た警察官の認識でもどんな言い訳も無意味なくらい見通しの良い場所だったと。)

そんな考えも僕の体も一瞬の内に吹っ飛ばされた。

僕の体が地面に倒れ込んだ瞬間に、僕は迷わず連れていたバズを探した。
一瞬の出来事の中、瞬間的によぎった嫌な予感と想像は現実のものとなっていた。
僕が倒れ込んだ視線の先、車の真下にバズは血溜まりの中横たわっていた。
車の下から血塗れのバズを引きずり出して抱き寄せた。
明らかに頭部に致命的な損傷があるようだった。
直感的に助からないことを悟った。
バズは鳴き声を出すことも出来ない状態で、痙攣して、徐々に呼吸が無くなっていくのがわかった。
僕はただ声にもならない声で、バズの名前を呼びかけながら、腕の中で抱きしめることしか出来なかった。

向こう岸から全てを見ていた友人も叫び声なのか大声を上げるのが聞こえ、救急車を呼んでくれた。
救急車が到着して乗り込んだ頃にはもうバズの呼吸は止まっていたと思う。
救急車の中で僕自身の怪我の状態を確認するが、幸いとも呼べるのかどうかわからないが、僕には大きな怪我はなく擦り傷や切り傷、打撲や打ち身程度だったようだ。
ただ念の為検査を。と言うことでそのまま搬送されることになったのだが、犬を抱いて連れたまま搬送できる病院がないとのことで、救急隊員さんがいくつかの病院に受入れの相談をしてくれていた。
例外的に某病院が受け入れをしてくれた。

病院に到着し、バズを別のストレッチャーに載せて、その横で血塗れの僕は医師の診察を受ける。
僕の服に大量に付いたその血は全てバズの血だった。
診察してくれた医師や看護師さん達はとても寄り添ってくれて、動物は専門外にも関わらず、バズの瞳孔を見たり心音を聞いたり、非常に丁寧に扱ってくれた。
そして僕は念の為レントゲンも撮るが、骨には何も異常はなさそうだった。

診察の最中に加害者から電話が掛かってきて、電話に出るもその時点で謝罪されても何も頭に入って来ないし、ただただ理解が追いつかなくて、
「病院で診察中で今すぐには何も対応できないし何も言えないので、改めてください」と電話を切る。
診察が終わり、事故当時目の前で見ていた友人に連絡を取り病院まで迎えにきてもらう連絡をする。その時で朝8時半くらいだったと思う。
事故から約1時間ほど経ったところだろうか。
それから20〜30分後、友人が車で迎えに来てくれた。朝9時頃。
ただただみんな泣いていた。

自宅に帰り着き、バズが普段使っているベッドにバズを横にして血塗れのバズの顔を友人と3人で何度もタオルで拭いながら、少しずつ綺麗にしていく。
一見外傷が無さそうに見えたので、どこから出血したのだろう?と疑問だったのだが、バズを綺麗に拭っている時に抱き寄せて少し顎の下を持ち上げて首の辺りを見ると大きめの裂傷が見えた。それ以上は辛過ぎて直視することが出来なかった。正面の顔もいつもより少し細く見える。
頭を撫でてあげると、やはり少し頭に凹凸があるように思える。
翌日、火葬場の方からお話を伺うと、やはり頭蓋骨が割れていたとのことであった。友人が持ち帰ってくれたリードと首輪もよく見ると首輪が千切れていた。

警察の調書が終わり、加害者側の発言も警察から伺って死因を確信した。
加害者の乗っていた車は三菱のアウトランダー。かなり大きめのSUV車だ。
バズの状態や状況的に恐らくはタイヤに轢かれたのだろうと思っていたが、その通りだった。加害者は車前輪右タイヤでバキバキと踏む音と感触を感じたと言う。
それを警察署で聞いた時にはあまりにも居た堪れなくて声を出してまた泣いてしまった。
頭蓋損傷による鼻や口からの吐血、そして首の裂傷による大量出血が死因となるのだろう。ほぼ即死に近い状態であろう。

一瞬とは言え、数分とは言え、とてつもない痛みであったであろうと想像すると辛くて堪らない。ただその痛みが何時間も続かなかったことだけは救いなのかもしれない。
こんな終わり方だっただけに、死因を思い出すだけで辛くなる。バズが一体何をしたと言うのだろう?
ただ本当に最後の息途絶える瞬間、一瞬でも自分の腕の中に抱き抱えながら見送れたことは救いだったのかもしれない。
自分にとっては地獄のような状態と情景ではあったが。

それから火葬の手配をしなければと、近所でペット火葬できる箇所を探して連絡してみるも、その日が休みというのと友引であるということから翌日にお願いすることにした。
過去に愛犬を亡くして見送った経験のある友人に話を聞くと、そんなに焦って急いで火葬しなくても大丈夫だよ。と言っていた。
火葬が終わった今となっては、確かにそうだなと思った。
その時の僕はなぜか、事務的というかタスクをこなすように物事をさっさと片付けるような思考になっていた気がする。
その当日が火葬場がお休みで、結果的に当日に火葬できなくて良かったと思った。
なぜなら、翌日火葬するまでの間、その日がバズと過ごす最後の愛おしい大事な夜になったからである。

すっかり冷たく、硬くなり、それでも皮膚や毛の柔らかさは感じ、何度も何度も撫でて触れてキスをして、たくさん声を掛けてあげた。
僕のベッドの枕元にバズを寝かせて、手で撫でながら、
至らない主人であったことを謝ると共に、それ以上にたくさんのありがとうと感謝を、好きと愛してるの言葉を口にした。
夜にはもう自分の瞼が痛くなるくらい、この日、一生分の涙を流した気がする。

翌日の朝、友人が火葬場まで送ってくれることになっていたので、バズをお見送りする準備を整える。
ベッドから段ボールに移し替え、少しでもバズが不憫な思いをしないよう、タオルや愛用のマットを敷き詰め、当日にも関わらず駆け付けてくれた近所の友人達から頂いた花をバズの周りにたくさん敷き詰めて。
そして食いしん坊だったバズの大好きなお芋やアキレスもたっぷり入れて。
僕の匂いを忘れないようにと、使い古しの自分のパンツも入れたりなんかして。最後に友人からのアドバイスで、前日の夜にバズ宛に書いた手紙を添えた。

朝10時、火葬場に着いて最後のお別れを言うも、涙が止まらない。
最後にバズのおでこにキスをして火葬場を後にする。
夕方17時、再度火葬場に伺い骨壷を受け取りに行く。
流石にいつも骨壷を持って歩くわけにもいかないので、骨壷と別に何か余った骨をいただけないか伺ったところ、歯と爪を入れたカプセルを別で頂戴することができた。オプション料金と言うところがなんとも現実的ではあるがそれは致し方ない。火葬場の方は非常に真摯に丁寧に対応して下さった。
きっとバズがあなたを守ってくれたのかもしれないと。
確かに、あんなデカいSUV車に吹っ飛ばされてかすり傷程度だったのは本当に奇跡だと思う。
そうして帰路に着き、ここで一先ず何かしらの節目となった気がする。

この間の出来事、1日と少しの間に起きた出来事なのだが、体感的には数週間や1ヶ月くらい経っているのではないか?と思うくらい僕の中で時間の感覚がおかしくなっている。
そして物理的なバズの肉体が無くなり、お骨へとなったことで「執着」のような思いのようなものも、少し気持ちの波の大きさが変化したように思う。

そう言う点で言うと、物理的なバズの肉体を唯一想起させるものが、見送る前に少しだけ切り取ったバズの「毛」である。
これも過去に愛犬を亡くした経験のある友人からのアドバイスであった。
「小袋パンパンに取っておいた方が良いよ!」
との助言通り、もう少しパンパンに毛を取っておけば良かったと思った。
それでも無いよりはマシで、写真とはまた違う実際に触れて感じることのできる「毛」に愛おしさを感じる。

加害者の責任

事故当日に警察と電話で話したところ、僕自身が軽傷であり、犬はあくまでも「物」としての扱いになる為、加害者に問える法的責任には限界があるだろうとのこと。なんとも理不尽な話である。
だが理不尽でも受け入れなければいけない。その中で自分が出来る最大限のことを考えた。加害者を罵ったり罵倒したところで、ただ自分が疲弊するだけで相手には何か思いが伝わるのだろうか?

幸いなことに、と言うか当たり前ではあるのだが、加害者は逃げることなくその場で自分の非を認めひたすらに土下座をして謝ってきた。もちろんそれで許せるわけもない。

バズを火葬した後日、改めて家に来てもらおうかと考えていたが、それではより強い思いは伝わらないと考え、火葬する前の事故当日の夕方に加害者へ電話し、家へ来てもらった。
そして冷たくなったバズを見てもらい、触ってもらった。
バズがどんなところで寝て、ご飯を食べて、座って、生活をしていたのか。
そこに確かにあった生活の軌跡を加害者に見てもらうことで、少しでも相手に事故のトラウマを植え付けようと必死に言葉を紡ぎ出した。
自分が仕事を辞めた理由、引っ越した理由、車を買った理由、全てバズの為に生きて、あなたは僕の大事な人生をも壊したのと同義なのだと。
加害者はひたすらに謝り涙し、帰っていった。
繰り返し言うが、到底許せるものではないが、客観的に見て加害者として対応し得る真摯な姿勢だけは見せてくれた気はするので、理解はできた。
それがまた複雑な心境にさせる。

これまでの10年これからの生き方

バズが居なくなって5日目の朝、警察の調書が終わった頃にこの記事を書いているのだが、周りの友人のサポートもあって、家ばかりに引き篭もり塞ぎ込んでいる状態になっていないのは幸いである。
ただそれでも寂しさは日増しに増幅され、日毎にその存在の大きさに気付かされる。

・インタホンが鳴った時に我先に走り出す姿。
・僕がトイレに行く度についてくる足音。
・シャワーを浴びている時に、扉越しに薄ら見えるバズのシルエット。
・僕がベッドで寝ようとすると入ってきて、僕の頭にバズのお尻をくっ付けて寝始める姿。
・寝ていると朝ごはんを催促する寝起きのペロペロ。

そんななんでもない些細な日常の出来事がどれだけ大きなことだったのか、失って初めて辛いくらい身に染みる。
常日頃思い出されるのは特別な出来事よりも、そんな些細な10年間積み重ねた日常の出来事。
ともすれば普段はイラっとするような出来事かもしれない。
でもそれすらも今となっては愛おしい。
本当に大事なことは特別なことなんかじゃ無い。
些細な日常の積み重ねこそが何よりも幸せで大事で、愛おしくて尊いことなんだと。
そしてそれはその瞬間にはなかなか分からないもので、失って初めて、あぁ、とてもとても幸せなことだったんだなぁと実感するんだと。

僕が会社員という道を選ばなかったのも、
東京から鎌倉へ引っ越しを決めたのも、
車を購入することを決めたのも、

全てがバズのことを考えての決断だった。
バズを迎え入れてからの10年は生活の全てがバズ中心であり、バズは僕の人生そのものであった。
まさに子どものような存在でもあり、パートナーのような存在でもあり、僕の半身でもあったバズを突然、何の心構えも無しにあんな凄惨な終わり方で失ってしまったのは、痛くて辛くて堪らない。

この町でのバズとの思い出があまりに多くて、今は思い出す度に涙が溢れ辛いので、正直引っ越しを全く考えないわけではない。
このところの晴天のせいで、道路には未だにバズの血の跡が残っており、道を通る度に胸の動悸と溢れそうになってくる感情を堪えるのがしんどい。

それでもこの町には悲しい思い出ばかりではないのだ。
むしろ幸せだった思い出の方が圧倒的に多いはずなのだ。
鎌倉へバズと単身で引っ越してきてから、誰も知り合いも友人も居ない中、バズをきっかけに沢山の知り合いや友人ができた。
バズに手向けられたたくさんの花たちが、いかにバズが沢山の人に愛されていたかがわかる。
バズが繋いでくれたこの地でのたくさんの縁を出来るだけ大事にこれからも紡いでいきたいとは思っている。

毎日の日課であった朝の散歩も、夜の散歩も、バズと過ごす休日も全てが突然無くなってしまい、自分がこれからどうやって何を糧に生きていけば良いのか、今はまだ見えないけども、そして自分がこの町にまだ絶対居るとも居ないとも断言はできないけども、バズがこれまで10年の間僕へ与えてくれた幸せと愛と思い出、最後に教えてくれたこと、気付かせてくれたことを明日笑顔で語れるようになれたら良いなと今は思っている。

バズはてっきり老衰で寿命を全うするものだとばかり思っていたけど、そんな願いは一瞬で打ち砕かれ、どんなに気をつけていたとしても車は突っ込んでくる可能性はあるし、どうしても防ぎ用の無い状況っていうのはいくらでもあるのかもしれない。

事故のちょうど1ヶ月前、7月29日はバズの10歳の誕生日だった。
その当日、僕はコロナに罹ってしまい39度の熱を出しておりかなりしんどい状況ではあったのだが、10歳の誕生日だけはどうしてもお祝いしてあげたくて、誕生日の飾り付けと最初で最後となってしまった、初めての手作りケーキを用意して、一眼レフでバズを撮ると言うイベントをしんどいながらも強行した。その後僕はまたすぐに寝込んでしまったのだが。

だが、当時はしんどかったけど、今となってはちゃんとお祝いしてあげて良かったと思っている。これでしんどさに負けてお祝いをしていなかったら、きっと今頃後悔していたことは間違いないと思う。
もしやりたい!と思うことがあって、それを諦める理由が些細な理由だとしたら、できるだけやりぬく気持ちを持って欲しいと思う。それはきっと明日後悔しないための一歩だと思う。

最後に、
僕は独り身でバズと2人、10年暮らしてきたわけだけど、これでまた完全に独り身になってしまった。その喪失感は計り知れない。
周りの友人達で
「今はそっとしておいてあげよう」
と思う方も多いかもしれない。勿論、1人で向き合う時間も大事であるし、そっとしておいて欲しい時もあると思う。その気持ちが4割りくらいだとしたら、あとの6割は「そっとしておかないで欲しい」と言う気持ちも非常に強い。
これまでにない孤独感に苛まれており、誰かに寄り添っていて欲しいと言う気持ちが非常に強くなる。
それでなくてもこれからは嫌でも1人の時間が長くなるのだから。

これはあくまでも僕の場合で、色んなケースがあると思うのだが、カップルや家族の場合はまた状況が異なると思う。
痛みや悲しみを共有できる人がごく近くに居るのだから。
その場合は周りの人は「そっとしておく」で良いのかもしれない。

ただ、もし独り身でペットロスになられた方が周りにいらっしゃったら、どうか少しでも気に掛け、寄り添ってあげて欲しい。
僕はそれで周りの友人達にだいぶ心が救われた。
同じ痛みとまではいかないまでも、同じように泣き悲しみ、辛さを少しでも共有してもらえることで、残された人の心は救われ少しでも痛みは和らぐような気がした。

これまでバズのことを愛してくださった皆さま、そして僕のことを今もまだ支えて下さっている友人たちに本当に感謝を。ありがとう。
この記事が同じ様に愛するものを失った人に少しでも共感し、寄り添え助けにならんことを願う。

そして、
バズ、これまで10年本当にありがとう。
至らない主人でもあったと思うけど、大好きだよ。愛しているよ。
ゆっくりおやすみ。

2013/7/29-2023/8/29 享年10歳・バズ

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