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引退犬を迎えることにしたわけ

盲導犬として長年働き、10才で引退したラブラドールレトリバーをウチに迎えることにしました。理由は三つあります。

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12月が来るとタローを喪って丸7年が経つ。初めの頃は親しい人たちも心療内科の医師も「新しい子を飼いなさい」と言ってくれたがボクらはもう犬を飼うつもりはなかった。タローはペットではなく子に恵まれなかったボクたちの息子だったから。そしてタローを忘れることが怖かったから。だが忘れないということは常に悲しみを更新することでもある。妻はいまだに病気に苦しむタローの姿がフラッシュバックしては唐突に泣き崩れることが頻繁にある。ボクは一人で車を運転するのが辛い。後部座席にタローの気配を感じては名前を連呼する。何度も何度もその不在を受け止める。辛すぎてこのままでは心も体ももたない気がしてきた。それが理由の第一である。

次に93才の母のことである。一人暮らしが難しくなり昨年から通年で同居を始めたが5年前の母とは別人である。書道に写真に押絵にリースにブログに編み物、そして庭仕事に友だち付き合い…それら全てに多忙だった母がピタリと何もしなくなった。する気もない。テレビがついていても画面を見ていないことがある。本人はもちろん、見守るボクにとってもそれは大きなストレスとなる。それがある日、知人が連れてきた犬と対面した母が劇的に鋭い反応を示した。その表情はまさしく「正気を取り戻した」という表現がふさわしい。ボクは懐かしい本当の母に久しぶりで会ったような思いがした。犬の持つ圧倒的なセラピー効果であることは疑いない。

ボクは妻のドレミと相談して盲導犬協会が募集している引退犬引き受けボランティアに登録書を郵送した。もう子犬を飼うのは難しいけれど引退犬ならば最期まで責任が持てると思ったからだ。だが協会からの返事はつれなかった。盲導犬を引退した犬は通常パピーウォーカーの元へ帰る。引退犬ボランティアに委ねられるのは、何らかの事情でパピーウォーカーが受け入れできない場合に限られるのだ。そしておそらくボランティアに登録している人は少なくないのだろう。登録したばかりのボクに順番が来る可能性は低い。
「たぶんご縁はないと思いますがご登録ありがとうございます。」
と、いう微妙な協会の返答にはおそらくそういう事情が垣間見えた。致し方ない。

風向きが変わったのはオンライン面談を妻のドレミと二人で受けてからだった。厳しく審査する担当者の言葉の端々からは、引退犬に対する関係者たちの並々ならぬ愛情が伝わってきた。ポイントを稼いだのはドレミの人柄か、それともしらべ荘の環境か。たぶんその両方だったのだろう。面談の後半には契約内容に関する具体的な注意事項や留意点を説明され了承を求められた。これはいわゆる「合格」を意味したのではないかと思われる。

果たして夏が終わる頃に、協会から来春に引退する犬を託したいとの連絡があった。さらに秋には変わって年内に引退する別のラブラドールを世話したいと言われた。予定していた引取先が急に都合が悪くなったとのことだった。どうやらその子はスタッフの思い入れもひとしおの特別な子でもあるらしい。こうしてトントン拍子にボクの序列は上がり11月に引退するそのイエローラブをトライアルという形で預かることになった。

話を聞いて母は目を輝かせ、歩く練習をして散歩に行きたいとまで言い出した。だが、何如せん記憶力が低下している。どういう犬がウチに来るかを毎日忘れてしまう。だからボクも筆談用のメモ用紙に毎日想像図を描いて説明した。

想像図

そしていよいよその子が引退して協会の施設に戻ったという連絡とともに写真が一葉送られてきた。

ボクのイラストは一気に写実的になった(笑)正式契約までは具体的な情報や名前をSNSに上げることができないのだが、名前も外見もタローとは全く違うことにむしろホッとした。

11月半ばの日曜日、待ちに待った引退犬と面会する日が来た。

母も伴って朝霧高原に訓練所を訪ねると驚くほど立派な施設だった。ずっと世話をしてくれた担当の人はあいにくこの日がお休みだったが、オンライン面談に同席された方が案内してくれた。

そしてボクたちは富士山の見える庭で彼と初めて会った。

人懐っこく活発な子で抱いていた盲導犬のイメージとはずいぶん違う。むしろ晩年のタローの方がずっと落ち着きがあった。年令は10才。タローが急逝したのが11才10ヶ月だったから彼の余生もまた長くはないだろうし、元気でいる期間はさらに短いかもしれない。

オンライン面談のとき、担当の方から「介護の覚悟はあるか」と何度も確認された。引退犬のボランティアは介護と看取りが主な役割である。

タローは余命1年と宣告された数週間後にあっけなく息を引き取った。治療を受けていた病院から退院した日のことだった。ボクらは1年間の介護生活のためにグッズを買い揃えて環境を整え、心の準備もしていたがそれは空振りに終わった。介護の負担をかけずに逝ったので「飼い主思いの犬だった」と言われたがそれは違う。介護を十分にして「もう楽になっていいよ」とお別れすることは「その後」にとってとても大事なことである。

ボクらはずっと盲導犬として働いてきたこのラブの子を慈しみ、そのときが来ればタローの代わりに介護して看取りたいと思っている。少しだけ心が安らぐかもしれない。これが彼を迎えることにした三つ目の理由である。

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