祭囃子が聞こえる/山に暮らして
朝から予報通りの雨となった。地区の子どもたちには涙雨である。今日は子ども神輿が賑やかに村を練り歩く予定だった。お神輿の雨天中止が決まった日,子ども会の会長さんと役員をしていたお隣さんが大粒のシャインマスカットを二房も持ってやってきた。お囃子の指導を担当したドレミへのお礼である。ブドウは経費ではなくお二人の自腹だろう。
「ドレミちゃん,笛とかを子どもたちに教えてもらえないかな。」
お隣さんが相談に来たのは夏のこと。聞けば地区の子ども会で子ども神輿を催したいとおっしゃる。去年は御柱(おんばしら)の年で子どもたちも祭りを楽しんだ。「今年も何かしたい」とは子どもたちの要望なのだそうだ。そこで子ども会の大人たちが手作りで藁の神輿を作った。後はお囃子をどうするかという相談になって,ドレミに白羽の矢が立ったというわけである。
あれこれと平素世話になっているお隣さんの肝煎りでは断れない。それに地区の人たちに挨拶するよい機会になるだろう。ドレミにとっては容易いことだし,ぜひお手伝いさせてもらいましょうということになった。
ところが子ども会には予算がない。
「笛は学校で使っているリコーダーを使えないかな。」
どこで調達してきたのか太鼓の代わりにボロボロのスネアドラムを会長が準備さした。ドレミも動じない。鉦をアルマイトのヒシャクで代替するのはドレミの提案だ。そして動画サイトで日本各地の祭りを参考にしながらお囃子を作曲し,それを楽譜にして練習に赴いた。
ボクもドレミに請われるまま,楽譜をレイアウトして印刷したり,スネアドラムをなんとか和太鼓に見せるようカモフラージュしたりして手伝った。
胴に裁断したクラフト紙を張り付けて油絵具で木目を描いた。
上出来上出来。
2回目の練習の日,録音を頼まれて公民館に行くと,まだ1回しか合同練習していない子どもたちが滑らかにお囃子の演奏を始めたものだから,本当にびっくりしてしまった。
太鼓や鉦を小3の子も担当する。
「ぐーみーいっぱいだ♪ぐみぐみいっぱいだ♪」
ドレミが鉦の子の脇で歌う。太鼓の子には
「いちにいさんしいごぉろくおまっつり♪」
と歌う。ことばがリズムになっているのだ。最初はぐみではなく「やまやまいっぱいだ」と教えたのだが子どもが好きなことばに変えさせている。笛を吹く大きな子たちもきちんと家で練習してきている。いちばん年長の高校生の女の子はドレミのことがとても好きなようだ。用があったのかお母さんに連れられて練習に遅れてきた小3の女の子は部屋に入ってくるなり,ドレミの膝の上に飛び乗った。
子ども会の会長さんが神輿の段取りを決めている。それにタイミングを合わせてドレミが拍子を取ると,一糸乱れず子どもたちが演奏したり止めたりする。完全に子どもたちを掌握していた。まだ1度,それも30分練習しただけなのである。しかも子どもたちと会うのはそのときが2回目だった。
ボクはほとほと感心してしまった。最初の練習日のあと,お隣さんが
「さすがドレミちゃんは教えるのが上手だ。」
と驚いていたが,これはもはやそういうレベルではない。我が妻ながら見ていて凄味を覚える実力である。この才能を30年も我が社(笑)で独占していたことが何だか悪い気さえしてくるほどだった。
練習は全部で3回。初日に上手に笛が吹けなかった子も特訓してきた成果をドレミに吹いて見せ「ほめられた~」と嬉しそうにお母さんに報告していた。親御さんたちの評判もよく,期せずして地区でも「ドレミ先生」として定着してしまった。
本番前,4回目の練習になるはずだった木曜日は子どもたちの残念会になった。今日の悪天候が確実となったために子ども会が中止を決めたからだ。ドレミは早押しボタンや黒ひげ危機一髪などアイシーク時代のグッズを地下室から引っ張り出し,手作りのクイズやゲームを作って残念会に参加した。
「子どもたちが大喜びの大盛り上がりだったー♪」
帰ってきて満足そうに言う。ドレミ大好きな小3の女の子はクイズ大会の賞品でもらった豪華お菓子セットをドレミにあげると言って譲らなかったそうだ。初日の挨拶のときにドレミが
「あたしはチョコが大好きで体の半分はチョコでできているの。」
と自己紹介したからだろう。結局袋の中からチョコを二粒だけもらった。笛を特訓して上手になった子のお母さんがドレミに寄ってきて小さな声で言った。
「もう終わりなんですね。名残惜しいです。実は今日は楽器は要らないと連絡が来ていたのに,最後にみんなで演奏するかもしれないと娘が言ってほらっ。」
お母さんの見せてくれたかばんの中にはリコーダーが入っていたそうだ。今日のお祭りは中止になってしまったが,子どもたちはそれぞれに大切なものを学んだようである。