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鎌倉殿の13人予習シリーズ/6.修善寺
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かねがね思うことだが、伊豆でも安房でも旅館や民宿の朝食に供される鯵の干物はうますぎる。ボクは旅館組合のようなところでスペシャルな仕入れ先があると睨んでいる。それはきっとトップシークレットである。干物店で上物を贖って帰ってもこんなにうまくはない。
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チェックアウトに行くと、前夜、湯から帰る浴衣のドレミに「着付けの会に参加の方ですか?」と謎の声をかけて来たおじさんがフロントに座っていた。どうやら宿主らしい。着付けを見る目はないようだ。お銚子の清算を終えると「柳月」の温泉饅頭をくれた。銀座でお遣い物に誂えてきたバウムクーヘンへの返礼だろう。車には前日買った「黒柳」が6箱も積んである。初めて「柳月」を口にしたが甘さに丸みがある。「黒柳」にとってはなかなか手ごわいライバルだ。
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空は曇天,午後からは雨になる予報である。予定の史跡巡りを急がねばならない。伊豆長岡温泉に別れを告げ,狩野川沿い414号を修善寺に向かう。
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長岡から大仁経由修善寺まで休日は渋滞で道路が麻痺することも多いが,平日ならばすぐのところである。
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修善寺に到着し,中心街の有料駐車場で自転車を下ろした。
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桂川に架かる虎渓橋から独鈷の湯を見下ろす。
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以前はもう少し上流の川幅の狭いところにあった。もちろん当時は混浴の露天風呂である。若き日のボクたちは夜陰に紛れてこの湯に浸かったことがある。現在は入浴することはできない。弘法大師によって807年に開かれた名湯も今や観光足湯である。
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南岸に独鈷の湯公園も整備されていて十月桜が可憐な花をつけていた。対岸の色を背景にTouit50マクロを装着して撮っていると後ろから
「あー!!あたしのアングル真似してる!」
とドレミのクレームが入った。ボクがトイレに行っている間に同じ構図をスマホで撮ったとのことである。
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クレームを尊重して彼女の作品を掲載するが,どうやら後ろの枝にピンを持って行かれたようで花はピンボケしている。
この公園の南側,鹿山の斜面が源氏公園となっている。急な坂道をいちばん低いギアであえぎながら登ると指月堂の前に出た。この地で殺された二代将軍源頼家の供養のために北条政子が寄進した御堂である。
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だがおそらく暗殺の首謀者は実母政子自身である。
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頼朝の死後,将軍職を継いだ頼家は権力を巡って有力御家人による合議組織「鎌倉殿の13人」と激しく対立した。中でも弟千幡(後の実朝)を将軍に据え,政治の実権を握ろうとする北条氏との確執は深かった。1203年,頼家は千幡の乳母で阿波局の夫阿野全成(頼朝の弟で叔父にあたる)を謀反の罪で殺害する。これに対して北条ブラック姉弟は同年に,頼家の長男一幡を殺害した。一幡は政子にとって孫でもある。殺害を実行したのは来年の大河の主人公北条義時の部隊である。どちらの事件にも有力御家人たちの権力争いが複雑に絡んでいて救いがない。
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指月殿の奥に源頼家の墓がある。一幡殺害に先立ち,頼家は政子によって修善寺に護送され翌年殺された。風呂場で襲われながら激しく抵抗したと伝わる。
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墓のさらに奥には殉死したと言われる頼家側近十三士の墓もあった。
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頼家の墓の下に「お伺い石」なるキレイな御影石が置いてある。修善寺町の公式HPによれば,この石を持ち上げて軽いと感じれば願い事がかなうという観光アイテムである。石は一連の陰謀を主導した政子が寄進の釈迦如来像が持つ蓮の花をかたどっている。これを若い旅行者たちに持ち上げさせて恋や金運を占うというのはいかがなものだろう。ドレミが持ち上げようと試みたが彼女の腕力ではほとんど浮かない。
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桂川沿いをえっちらおっちらと漕いで温泉街の外れまで上った。さらに北側の斜面を上ると民家に混じって旅館の従業員宿舎やアパートが点在している。
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源範頼の墓にはさらに小路を登る。
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源範頼…母を異にするが頼朝の弟で義経の兄。頼朝の名代として,木曽義仲を倒し,一の谷から九州征伐,壇之浦までの戦いで源氏の猛将たちを束ねた。征西軍の総指揮官は義経ではなく彼である。
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粛々と兄頼朝の命に従っていたが義経討伐の際はさすがにその指揮を断り,一時彼を匿ったことから頼朝の不興を買った。それだけなら降格で済んだはずだった。実際奥州征伐には頼朝軍として参加している。
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彼の運命を決定的にしたのは1193年の5月,有名な曽我兄弟の仇討のときである。巻き込まれた頼朝が死亡との誤報が鎌倉に入った。悲嘆する政子に「私がついている」旨を告げて励ました。これはまずかった。「あなたが死んだと思って,あの人あたしに言い寄ったのよ。」と言うわけである。ちなみにこの発言はブラック政子のでっちあげ,曽我兄弟の仇討も政子の父北条時政の陰謀という説もありその信憑性は高い。
ともあれ彼は弁明虚しく,その夏のうちに修善寺に幽閉され,密かに殺された。
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駐車場に戻る途中で修禅寺に立ち寄った。ボクは西伊豆を走るのが好きで,ドレミとの初ドライブも大瀬崎である。この修善寺戸田線もおそらく二,三十回は通過しているが修禅寺に参拝したのは初めてである。有料駐車場の大看板が林立する俗悪な門前の雰囲気が好きではなかったからだ。
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山門をくぐると境内には観光地の雑多さはなく意外にも静かだった。
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手水にも温泉が湧いている。足湯ならぬ手湯。
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ふだんは見て見ぬふりしている中世の暗黒の歴史。その底に沈んだ二人の源氏の墓を訪ねて暗澹としていた心が,寺の静謐の中で少し癒された。
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鎌倉と同じく修善寺にもまた鎌倉時代の幕開けを語りにくい事情がある。