「論理より直感を」ではなく「論理も直感も」

「論理より直感を」という誤解

意思決定における「論理」と「直感」の問題については、すでに前著「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」において、かなりの紙幅を割いて説明していますが、筆者の筆力の問題もあっていくらか誤解されている側面もあり、ここではあらためて、前著で触れなかった論点についても取り上げながら考察してみたいと思います。

まず、あらためて筆者の問題意識をシンプルに記述すれば、「企業の意思決定があまりにも論理偏重に傾くとパフォーマンスは低下する」ということになります。理由は大きく三つあります。

一つ目は、過度な論理思考への傾斜が招く「差別化の喪失」という問題です。これはすでに何度かNOTEの記事でも触れている「正解のコモディティ化」と表裏一体の問題といえます。長いこと、分析的で論理的な情報処理のスキルは、ビジネスパーソンにとって必須のものだとされてきました。しかし、正しく論理的・理性的に情報処理をするということは、人と同じ「正解を出す」ということでもあるわけですから、必然的に「差別化の消失」という問題を招くことになります。

二つ目は、分析的・論理的な情報処理スキルの「方法論としての限界」です。これはメガトレンドにおいて取り上げた「VUCA化する世界」というトレンドによって発生している状況です。このような複雑で曖昧な世界において、あくまで論理的・理性的に意思決定をしていこうとすれば、いつまでも合理性を担保することができず、意思決定は膠着することになります。

経営の意思決定における合理性の重要さを最初に指摘したのは経営学者のイゴール・アンゾフでしたが、彼はまた同時に過度な分析志向・論理志向の危険性もまた指摘していました。アンゾフは、1959年に著した「企業戦略論」において、合理性を過剰に求めることで企業の意思決定が停滞状態に陥る可能性を指摘し、その状態を「分析麻痺」という絶妙な言葉で表現しています。そして、私が見る限り、この状況は多くの日本企業において発生しています問題でもあります。

三つ目は、論理では「意味を作れない」という問題です。すでに、現在の世界では「役に立つ」よりも「意味がある」ことの方に高い経済的価値が認められている点については指摘しました。「役に立つ」ということは、明確化された問題に対して解決策を提供するということで、この領域では論理や分析は大いに力を発揮します。しかし「意味がある」という市場において価値を生み出すことはできません。ゼロからイチを生み出す「意味の創造は」は論理でどうこうできる問題ではないのです。

「論理も直感も」

さて、このようにして「論理偏重」のもたらす弊害を指摘すると、「では論理ではなく直感で」と考えてしまいがちですが、先述したように、それは筆者の意図するところではありません。この点についてはすでに先述しましたが、あるシステムがダメだからといってそれを別のシステムに代替すればカタがつくというのはオールドタイプの思考方法であまりにもガサツです。

筆者の主張は「論理と直感を状況に応じて適切に使いこなす」というしなやかさが必要だということであり、まさにこの思考様式を発揮するのがニュータイプだということです。

たとえば先ほどの問題指摘に沿って考察すれば、原因と問題の因果関係が明確で、別に情緒的な差別化が求められない局面であれば、わざわざ直感に頼らずに論理で解けばいいだけの話ですし、逆に「意味」が非常に重要な局面において、いたずらに論理を積み重ねても良質なアウトプットは得られません。両者の問題解決アプローチにはそれぞれ一長一短があり、短兵急にどちらかだけを用いるべきだと断定することはできません。

この「論理と直感の長所と短所」という問題について、おそらくもっとも有益な示唆を与えてくれるのがダニエル・カーネマンによる研究でしょう。カーネマンと共同研究者のエイモス・トヴェルスキーは、のちにノーベル経済学賞を受賞するきっかけとなった研究から、人間は二つの思考方法を使い分けているということを明らかにし、これを二重過程理論としてまとめあげました。この理論は、現在の行動意思決定論・行動経済学の基盤として広く普及しています。

二重過程理論によれば、人の脳では、外部からの刺激に対して、大きく二種類の意思決定の過程( システム)が同時に、異なるスピードで起きます。この二つの異なるシステムを、カーネマンらはシステム1とシステム2として、次のように説明しています。

システム1は自動的に高速で動き、努力はまったく不要か、必要であってもわずかである。また、自分のほうからコントロールしている感覚は一切ない。システム2は、複雑な計算など頭を使わなければできない困難な知的活動にしかるべき注意を割り当てる。システム2の働きは、代理、選択、集中などの自動的経験と関連づけられることが多い。

ダニエル・カーネマン「ファスト&スロー」

 

これら二つのシステムは対置されるようなイメージがありますが、実際のところは同時期に機能させることが可能です。例えば作曲家は、曲全体の構想を練るときにはシステム2を活用し、即興演奏ではシステム1を活用していますし、ほとんどのビジネススクールでは、ファイナンスや戦略論でシステム2を鍛えながら、たくさんのケースで擬似経営体験をすることでシステム1を鍛えるというカリキュラム設計になっています。

これはつまり、こういった知的専門職で高いパフォーマンスを上げるためには、システム1=直感とシステム2=論理の、両方をバランスよく使うことが求められている、ということです。

しなやかなバランスが重要

論理と直感をバランスよく使いこなすためには、どのような局面において、直感と論理のどちらを意思決定に用いるべきかという意思決定、つまり「メタ意思決定」が重要になります。

これを間違えてしまうと、論理思考で有効な答えが出せる局面で直感を用いてトンチンカンな回答を出力してしまう一方で、創造的な解が求められる局面で論理を用いて陳腐な回答を出力してしまう、ということになります。

留意しておくべきなのは、データとアルゴリズムを用いて解答することが可能な問題について、人間のシステム1は、かなりお粗末なパフォーマンスしか挙げられない、という点です。これは先述した「専門家による予測はチンパンジーのダーツ投げ程度の精度でしかない」というテトロックとの研究とも符合するのですが、だからといって「システム1は信用ならない」と結論づけるのも早計です。

数値データが取得可能で判断のアルゴリズムが記述できる、たとえば典型的には裁判における量刑や住宅価格の変動などは、おそらくシステム1よりもシステム2の方がはるかに高いパフォーマンスを上げると思われますが、このような条件に該当しない場合、つまりアルゴリズムとして記述できないような、要素が多数で複雑に絡むようなケースにおいて、システム2だけに頼るのは危険だということが近年の研究から指摘されています。早稲田大学の入山章栄教授のレポートから抜粋を引きましょう。 

マックス・プランク研究所のゲルド・ギゲレンザーらが二〇〇九年に『トピックス・イン・コグニティブ・サイエンス』に発表したレビュー論文では、近年のさまざまな研究成果から、「ヒューリスティック・直感は、意思決定のスピードを速めるだけでなく、状況によって 論理思考よりも正確な将来予測を可能にする」ことを主張している。これには驚かれる方もいるのではないだろうか。しかし、これが認知科学研究の最近の主張なのである。 ギゲレンザー論文によると、そのポイントは「分析と予測」の違いにある。もし人が「分析」だけを行いたいなら、情報をなるべく多く集めて、時間をかけて論理的に行ったほうがよい。しかし、意思決定に必要な「将来の予測」では、大量に情報を精査しすぎると、逆に情報それぞれが持つばらつき( 分散:variance)に予測モデルが左右されすぎてしまう傾向があるのだ。逆に、多少バイアスがあっても、特定の少ない情報( cue)にだけ頼るほうが、各情報のばらつきに左右されないので、結局は正確な将来予測・意思決定ができる、という主張なのである。 経営学でも、ヒューリスティック・直感の重要性を示す研究成果が、徐々に蓄積され出している。たとえば米テンプル大学のアンソニー・ベネデットらが二〇〇九年に『リサーチ・ポリシー』に発表した研究では、トルコの一五五企業の内部データを使った統計解析から、 ①変化が激しい事業環境では、直感による意思決定を重視する企業のほうが製品開発の創造性が高まりやすい、 ②チームメンバー間の交流経験が豊富な場合、直感と論理思考がチーム内でバランスよく取れているほど、製品開発の創造性が高まりやすい、という傾向を明らかにしている。先のホジキンソンが二〇〇九年に『ロング・レンジ・プランニング』に発表したレビュー論文では、近年の経営学における直感の研究がそのプラス効果を見出していることを指摘しながら、これからの経営には「直感」をうまく取り込むことが必要、といった主張をしている。

入山章栄「意思決定の未来は“直感”にある」ハーバード・ビジネス・レビュー

 

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