他人の指摘
生きていると多かれ少なかれ、他人に指摘されることってあると思います。私は大事に育てられたので、指摘されるということがあまりなかったんですね。
加えて、そんな環境で育ったから、指摘の中にも悪意や敵意を向けてくる人がいることで、これは自分のことが嫌いだから言ってるのかなと全てを思い込んでしまうことも多くありました。
今回は、個人的に誠意のある指摘と悪意のある指摘について、気づいたことを書きたいと思います。
そもそもの前提として、こちら側はフラットな状態で相手の発言を受け取るというのがあります。
全てを悪意に受け取ってしまうのはコミュニケーションにおいて弊害でしかありません。
これに関しては、通院しているメンタルクリニックの先生曰く、認知行動療法で治せるとのことです。
具体的には、
①言われたことを一度、紙に書き出す
②それを俯瞰してみる(意図を測る)
といったものです。
もし、誠意のある指摘であれば、具体的に取り組んで改善すればよし。
悪意のある指摘はそういう見方もあるんだな程度でOK。
あとは、言い方がきつい人。
いってることはわかるけど、この人の言い方傷つくんだよな。
これは闇深い問題がありまして、きつい人は大きく分けて3番類あります。①傷ついた経験があって人が怖い
②責任感が強くて、ストイック
→自責に耐えられなくなって他人を責める(他人を責めているときは自分に意識が向かないから)
③単に競争心が強い
なので、きつい人認定して距離を置くというのがベスト。
まあ、そういう人って勝手に孤立してるもんねえ。
メンタルの先生曰く、きつい人認定したらもうそれはこっちの勝ちらしいです。笑
一瞬意味がわからなかったけど、きゃんきゃん吠えてる犬みたいに思えってことかなあ?w
次に、本題の誠意と悪意について。
こちらがいくらフラットに受け取っても、悪意や敵意のある人。
まず判断の方法なんですが、
言っている指摘に
「自分」があるのか、
「他人」があるのか。
ポイントはここだと思います。
「他人」がある人は、(人にもよりますが)言い方を配慮できたり、相手の状況のヒアリング、その先にどうしたらいいか(具体策の提示)があります。
感情的になってしまう人は、それだけ気持ちが強い人なのかなあって。
で。
「自分」がある人。
思いやりやお節介に見せかけて、指摘する人もいますが、自分のことしか考えてない人は端々に出ます。
それ言いたいだけやんな。(自分都合、世界は俺を中心に回っている)
論破したいだけやんな。(競争心、勝ちたい)
マウントとりたいだけやんな。(コンプレックスがある)
ざっとあげてみるとこんなふうに、それっぽく言ってるけどその先もなければ、言うことによって関係性をどうしたいのかがありません。
そもそも、信頼関係の築けていない状態で指摘するのは効果的ではないと思います。
こう言う指摘をやっちゃう人って、自分のフィルターってのがものすごく強くて、相手をあまりみてない傾向があると思います。
偏見っていうんですかね。
だから、指摘が会話じゃなくて、一方的に投げかけます。
相手がどうなろうとおかましなしです。
その人との関係性にもよりますが、こういう人とは距離をおいて関わらない。
本当に耐えられないのであれば、その環境を離れる。
もしくは、これは個人的にできるのであれば合法的に反撃することが良いと思います。
いじめと同じで反撃しないとずっと続いちゃうので、3回同じことがあったら反論していいと思います。
勿論、犯罪にならない程度に笑。
私の母友のこども(今は成人してる)は、小学生の頃背が低くていじめられていたそうです。
でも、ある時ブチ切れて傘で泣くまで相手を殴りつけたら、それからいじめられることはなくなったそうです。
人間って知能はあるけど、綺麗な生き物じゃないから。
ネガティブに考えるようできてるし、レベルが低ければ他人を傷つけてしまう生き物です。
しかもそういう人って、残念なことに少なくありません。
そういう人たちとうまいこと折り合いをつけていくのが大事なんだなあと今回書きながら実感しました。