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私はいったい何者なのか?

初めまして。ドローンパイロットのしゅう(@shu_drone_0508)です。

記事閲覧していただきありがとうございます。

今回は初回ということで自己紹介も含め、私の経歴を話しできればと思います。

タイトルにもあります【私はいったい何者かについても】深掘りしていきますので、是非最後までお付き合いください。

生い立ち

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1993年福島県浪江町に生まれました。3兄弟の2番目です。浪江町は東に太平洋、西に阿武隈山があり自然に囲まれた長閑な場所です。
そういった自然豊かな地域で私は成長してきました。

学生時代(中学生・高校生)

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中学までは地元の中学に通っていました。
剣道部に所属し、全国大会を目指して稽古の日々。
誰かの役に立ちたいという思いが強く、剣道部部長の経験・生徒会長の経験を中学生の時にしました。
P.S.初めて女性とお付き合いしたのも中学生の時でした。(即破局)

高校生は隣町の双葉町にある双葉高校に進学しました。
高校でももちろん剣道部所属です。
この時は剣道が強い人=この世で偉い人と思っていました。
どうやったら強くなれるか。日々模索していました。

が、私が1年生の時の3年生がとても怖かったんです。(もしかしたら誰でもこの経験はあるかもしれません)
嫌なことをされ怪我までしました。(当時は怖すぎて反発なんてできませんでした)
「3年生が引退するまでの辛抱」だと同級生とお互いを励ましあいながら部活をしていました。
私たちが進級し、2年生の時の新人戦では地区大会優勝することができました!!(先生・保護者・サポートしてくれた方々に本当に感謝です。)

東日本大震災の経験

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2011年3月11日その出来事は突然訪れました。
部活中に被災。
初めて経験する立っていられないような揺れ。
揺れがおさまり、校庭へ避難の指示。
私は指示通りに動くだけで、何もできなかった。

続く余震と被害状況の大きさから、日本は沈没するのではないかと本気で思ったほどです。

当時は、長期の避難生活が始まるとは微塵も思っていませんでした。
ですので友人とは「また明日」といって別れました。

次の日の早朝、私たちは故郷を離れました。

学生時代(大学生)

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震災時に何もできなかった経験が悔しくて、看護師になろうと看護大学に進学。
授業は単位を落とさないことに必死でした。
また、病院実習の記録も膨大の量でして、必死こいて深夜まで記録作業をしていました。

大学3年生の時に彼女ができ(長年付き合うがのちに事件)楽しい学生生活を送っっていました。

中でも学生と教授で一緒に防災について考えるイベントは大学生時代に一番力を入れた活動だと思います。(私の役割は主に当時の状況を発信する立場でした。)

就職

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新卒で病院に就職しました。

正直「これが社会かと」疑問を感じたことはありましたが、業務内容を覚えるのに必死すぎて1年はあっという間に過ぎ去りました。
忙しい中でも、彼女(大学生時代の彼女が僕を信じてついてきてくれました)とお互い励まし合いながら日々過ごしていました。

3年目のある日彼女から「留学に行きたい」と相談されました。
素直に送り出してあげたい自分といって欲しくない自分と半々でしたが、本人の意思を尊重して快く送り出してあげました。

今まで半同棲のような生活をしていたので、部屋が広く感じて、ぽっかり穴が空いた感じでした。

初めは遠距離恋愛うまくいっていたのですが、お互いの生活が違いすぎて徐々にズレが生じ始めます。(今思うとかなり依存していたなと反省です)

仕事もうまくいかず、患者さんに愛のお叱りを受けました。(余裕がないと人はダメなんだとこの経験で学びました。)

帯状疱疹と診断

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ある日出勤前におでこにニキビのようなできものを発見し、ヒリヒリするなと思いながらも病院に出勤しました。

次第に体調も悪くなり、救急外来を受診。
帯状疱疹と診断されました。
告知を受けてから、みるみる水疱は大きくなり片目が見えない状態になりました。(殴られた後のボクサーのような感じ)

目が見えなかったので休職し、その間自分と見つめ合いました。

このままこの仕事を続けるかどうか

結果的に健康を害してまで続ける仕事ではないと判断し、復帰後1ヶ月で退職をしました。(休職中に退職という可能性も考えたのですが、そのままフェードアウトする感じがいやで意地でも復帰はしてやると思っていました。)

やめたはいいものの・・・

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実は看護師をしている最中に「これやってみたい」と思える物に出会っていました。

それは結婚式の馴れ初めムービーの作成を請け負う業者です。(ボランティアで友人の馴れ初め動画を作った際にすごく喜ばれて、その経験からなってみたいと思いました)

やってみたいと思っていたものの、技術も業界に通じている頼れる人もなく、1人で苦しんでいました。
とどめは大学生時代からの彼女との別れです。

気力が起きない。

そんな状態で、一人暮らしをしていました。
「自分は必要とされていないのではないか」と考え、死を考えたこともありました。

このままではまずいと思い、荷物をまとめて一回実家に戻ることにしました。

怖くて病院に行けませんでしたが、精神病にかかっていた可能性はあります。

このままではまずい!!

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生活するのにはお金が必要です。

貯金を切り崩しての生活でしたので、底尽きる未来も見えていました。

確率は低かったですが、いただけたお仕事は全力で取り組んでいきました。(コロナ禍でウエディングのムービーの需要は低かったため、PR映像を作らないかと提案して回っていました。)

その中で、たまたま宮城県の大きなプロダクションのプロデューサーさんと知り合うことができ、よくしていただきました。(その方へは頭上がらないです。)

初めはアシスタントスタートでしたが、1年以上広告映像を作らせていただき、経験も増えてきました。

ドローンの変態であることに気づく

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案件の中に空撮の依頼もあり、ドローンを飛ばす機会が増えました。

その中で、ドローンで隙間を飛ばしている時が一番ときめいているなと感じるようになりました。(この自分が一番何にときめいているのかを考えるきっかけをくれたのが師匠の川原卓巳さんのBe yourselfという本がきっかけです。)

自分らしく生きていくために、オンラインサロンSENSEにも入会し、いろんな方との出会いがありました。(継続中)

何者かになりたかった私に「しゅうくんはしゅうくんのままでいい。」SENSE運営の綾さんの言葉。「生きててくれてありがとう。」卓巳さんの言葉。

この言葉に救われ、今の自分がいます。

私は何者かになるのではなくて、存在自体が自分そのもの。
なんとも哲学的な考え方ですよね。

とは言いましても、僕自身ドローンパイロットとしてまだまだこれからだと思っています。

ドローン事業を通して、お客様の作業の時間短縮をお手伝いしたり、新たな表現の一部としてお手伝いできればなと思っております。

ドローンパイロットとして関わらせていただいた最新の映像を1点だけシェアさせてください。

これからもドローンの変態であり続けます!!

最後まで読んでくださった皆様ありがとうございました。

今後とも是非よろしくお願いいたします。

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