東日本大震災によせて~静岡での記憶~
3.11の日の事を鮮明に覚えています。
被害は少ないながら、私も被災者だったからです。
仕事の休みを利用して浜松から電車で静岡に赴き、馴染みの整骨院にいっていた時に地震が起こりました。
施術台の上で骨をコキコキされながら、(何だか眩暈がするな)と思っていたら先生が施術の手を止め、「……地震ですね」と呟きました。
「地震ですか?」
「うん。なんかゆらゆら~っと揺れたでしょう? 遠くで起こった地震が今ここに届いたってことだから」
先生が診療室のBGMをラジオに切り替えると「宮城で地震……」といった放送が聞こえました。
「これ終わったらね、急いでまっすぐに帰りなさい。バスとか交通機関止まるかもしれない、大きな地震だから」
言われた通りに浜松に帰ろうとすると、幸いバスは動いていたのですが、JRが完全に停止。静岡駅にものすごい数の人があふれ、普段見向きもされない公衆電話には学生やお年寄りが列を成していました。
実家に電話をしようとするも、回線もパンク中。
当時の写真が見つかりました。皆どうしたものか……という様子。
この時私を救ってくれたのがツイッターでした。
しかも、この日は珍しく、乾電池式のガラケー充電器を持ってきていたので、しばらくの間ガラケーの電池を切らさずにツイッターで情報を得る事ができたのです。
ネットの情報を見るうち、次第に地震の規模が明らかになってきました。
電車はこのまま動かないかもしれない。
翌日仕事のシフトが入っていた私は、なんとか会社に電話をつないで帰れないかもしれない旨を伝え、他スタッフにシフトを替わってもらうことに成功。
3.11の日の写真ログをみていたら、草薙神社の写真がありました。
あまりに電車が動かずどうにもならないので、おそらく私鉄かバスあたりで草薙まで来て、祈りを捧げていたのだと思います。
ここは大学時代から大好きな場所で、実家帰省時にもこれたら顔を出すようにしているのですが、祈るくらいしか出来ないと思った時に足を運ばずにはいられなかったのでしょうね。(写真見るまでこの日行った事を忘れてしまっていたのですけど!)
神社から戻り、コンビニで買ったカロリーメイトを食べ、夜八時を迎える頃だったでしょうか。
たった一本だけ、東京発の新幹線がこちらに向かうようだという報が流れ、改札で待っていた人達がこぞって新幹線の券を購入します。
このアナウンスがなければ、ホテルを探しにいくつもりだっただけにひと安心。
やがて九時頃到着した新幹線に、お客がみんなして乗り込みます。通路まで人が立ってギッチギチの状況でしたが、乗客の顔は安堵に満ちていました。
いやあすごかったですね、こんなの初めてで、でも帰れて良かったね。
年代の違う乗客が口々に語り合いながら、目当ての駅で降りていきました。私も家族に迎えに来てもらって、無事帰宅したのでした。
駅の中、大挙して帰るために移動する人の群れ。
昔からずっと、東海地震が来るぞと言われている我が静岡ではなく、こんなに大きな地震が福島や東北で起こるとは。
距離のあるこの場所でこれだけ混乱があったのだから、実際に被災したらこんなもんじゃないな、と痛感するに足る出来事でした。
そしてその後、北海道で実際に被災する事になったわけですが!
出かける時に必ずスマホバッテリーを持つこと。寝る前にもスマホを充電し、すぐ懐中電灯を取れるところに置いておくこと。本当に大事です。
八年の月日が経ちますが、いまだに復興が進まない地域、人が戻らない地域、そして癒えない心の傷を抱えた方々がいらっしゃいます。
微力ではありますが、寄付など出来る範囲での支援、そして地震への対策を今後も続けるつもりです。
被災された方々が一日も早く日常に戻れますよう、お祈りしています。
有料記事の紹介で失礼します。被災するとはこういう事、という胆振東部地震の実体験を綴っております。
また、地震についての本やグッズなどを、こちらの記事で紹介しています。