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大切な日を忘れない~亡き祖父に想う~
祖父の命日です。
何故はっきり覚えているかというと、この日が私の誕生日の前日だったからです。
私が中学校一年生の時に祖父は亡くなりました。出来事としては平成のことなのですが、さすがに記憶も遠くになりつつあります。
中学での最初のテストの成績が奇跡的に学年内一桁で、家族がその事を病床の祖父に伝えると「脩に頑張ったなと伝えてくれ」と言ってくれたそうです。私への、祖父の最後の言葉でした。
祖父の逝去は、私の人生で初めての永遠の別離でした。
葬儀の間も、納骨が終わってからも祖父がもういない事が実感できず、一緒に行っていた公園の電柱の影からひょっこり顔を出すのではないかとさえ思えたほど。
祖父が存命だった際、彼は私や妹に色々な事を教えてくれようとしていました。ただ、博識な彼に何かを尋ねると、聞いたことが三倍くらいになって返ってくる体感でした。
マイペースな小学生だったので「おじいちゃんの話長いな、それよりもごはん食べたい」などと考えていたのでしょう。もっと色々聞いておけばよかったな、祖父の話を覚えておけるくらいに私が賢い子供だったら……と、今となって痛感します。
祖父は時代劇が好きで、『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』、『大岡越前』等の再放送をいつも好んで見ていました。
私が応接間に現れると、あぐらをかいた足の間に私を入れて一緒に見せてくれたのを記憶しています。
『水戸黄門』の定番が、くノ一お銀のお風呂サービスシーンなのですが、それが流れると祖父は「子供がこんなの見ちゃいかん!」と私に見せないようにしていました。
おじいちゃん可愛いなあ、でも正しい子供への気遣いかもね、と微笑ましく回想する一幕です。
時代劇を見ていた孫なのに、日本史が不得手な大人に育ちました。しかし日本史・城系大好きな旦那と義母に出会ったおかげで、旧国名と都道府県が一致し始め、おかげで祖父と見ていた『水戸黄門』で、黄門様ご一行が旅をした行き先も理解できるようになったのです。
旅行で水戸に行った時、駅前の黄門様像を見て「おじいちゃんと見ていたあの作品の発祥の地に来たんだなあ」と、喜びと感慨が混じった気持ちをしみじみ抱きました。
そういえば吉宗公も、仮面ライダーの映画に登場してくれているので、そちらもいずれ履修します。何が繋がるか、わからないものですね。
時々でも思い出すことで、祖父への供養になれば。
感謝の気持ちを込めて、この日に綴っておく次第です。
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