花園地区を思ふ
“ニュー”タウンの”いま”を考えたい。
◯◯ニュータウン全盛期に我が両親は乗っかり、8歳で利府町へ入植したころ。
故郷花園は沿道の草花も常にキレイに整備されていて、公園はささきしょうたのようなイタズラ小僧が絶えず走り回っていて、常に新しい遊びを開拓し区内を飛び回り、あたりにこども(同世代)を見ない日はなかった。花園のメインストリートを登り切ると、そこは商店街のような装いになっていて、パン屋さん、お弁当屋さん、電気屋さん、古本(兼駄菓子兼ネオジオ)屋さん、洋菓子屋さんが立ち並び週末は近所の人たちで賑わった。
今も町内に住んでいるから花園に帰りたいっていう願望は微妙だがきっと遠方に住んでいたら懇願するに違いない。
それでも、最近花園を通ると、こどもたちの姿がなかったり、まわりの草花は誰が手入れしてるんだろうと疑問になったり、昔賑わってたお店さん方はどうなったんだろうと鑑みたり、胸に寒風が吹く感じがする。
花園ニュータウンはニューではなくなってしまったのか。
そりゃ30年も経てばニューではなくなるか。10年一昔×3。
中学高校卒業以来全く連絡も顔も見てない人たち…いまどこにいるんだ?残ってるのは今やアラカンの親世代だけなのか?
少子高齢化とか空き家とか、全国各地で耳にタコができるくらい聞いた地域課題もこんな身近にあるんだろうな。
全国共通の地域課題…共通…共通?大学入学共通テスト!
同時に、最近「教育」に対する思い入れがいつも以上に再燃している。
ついこないだも制度が新しくなった大学入試が実施されていた。
これを契機に、教育のあり方が変わったら面白いのになー、いいのになーと日々雑念邪念を張り巡らしている。
色々やりたい。面白いこと、バカバカしいこと。
精神年齢未だ8歳、頭の中は花園である。