IFの世界線で生きていると今でも思っている
#想像していなかった未来 という投稿コンテストが現在行われている。まさに今現在、幼少期に考えていた将来像からかけ離れた「想像していなかった未来」を生きる私にとっては書いておくべき題材だと思う。
生来根っからの厨二病なので、「世界線」という言葉は聞いただけでもワクワクしてしまう。「パラレルワールドが実在したら」という空想も好きだし、実在しててくれと割と強く願ったりもしている。
量子力学的観点だとその可能性も捨てきれないらしいが、私が生きている内にその存在が証明されてほしいな。
”何の問題も起きなかった世界線” = 本来の世界線で生きている私は、恐らく今頃スクウェア・エニックスでバリバリ面白いゲームを創り続けていることだろう。
まぁ本来想定しなかった道を歩んでいる今でもゲーム制作という目標は捨ててはいないので頑張って元の世界線に近づくしかない。
角度というものは、たった1度違うだけで1m先は約1.8cm、1km先は約17.45mもズレていくらしい。生まれた時を起点として、水平に伸びる線(= 0度)を本来の世界線とした場合、私は残りの1/359の世界線を生きていくしかなかったんだろうな。少数を含んだ実数も合わせると更に膨大な数の”私”が存在している筈だ。24.1度の線を辿る私もいれば、43.7度の線を辿る私もいる。しかしそれらの私は本来「こう在りたかった」という私ではない。
家庭に何の問題もなく、中学は不登校にならず高校も中退せず、努力の末大学に入学し、そのまま一番好きなゲーム会社へ入社していた筈の私は今頃何をしているんだろうか。Switchの次世代機用のゲームを開発してたりするんだろうな。
こんなことを述べると「お前の努力が足りなかっただけだろ」とか「半端な行動をしてたから今そうなってるんだろ」とか「今からでも実現に向けて動けよ」とか色々言われそうだが、それはまぁ、際そうである。
「自分が180度の世界線でありたいだけ」なんて後ろ指をさされても何の文句も言えない。
しかし、しかしよ、”本来想定していない自分”だからこそ経験出来た色々はあると思うんだ。ひょっとしたら正しい世界線の自分もそういう経験してたのかもしれないが、多分考え方や性格もまるっきり違う筈で、”今の自分”が感じたことは”今の自分”にしか咀嚼や吸収はできない。
社会人になって演劇を始めるだなんて私が思っただろうか。フルマラソンに出場して完走するなんて私が思っただろうか。Web制作会社に入社してサイト制作やECサイトの運用をするなんて思っただろうか。多分どれも全く想像していなかっただろう。ましてや今こうしてフリーランスになって自分で生計を立てて、傍にnoteを毎日更新して「書くという行為」にハマり、小説のコンテストなどにも意欲的になっている。ゲームを作りたかった少年は今現在全く予想のできない人生を送っている訳だ。
私は”本来の世界線の自分”をとても羨ましく思っているが、きっと多分恐らく”本来の世界線の自分”も今の私のことを「え、めっちゃ楽しそうな経験してんじゃん!」と羨んでいることだろう。正直そうであってほしい。
まぁ人生どうなるか分からんからね。ひょっとしたら10年後は何故かプロボウラーとかプロハスラーとかになっているのかもしれない。それぐらい可能性というのは否定できないし、元の世界線が収束して最終的に”ゲーム制作を生業にしている人になっている”という結末だって起こり得る。
性分として悲観的になることが多い人生だが、せめて「予測できないこと」だけはワクワクしながら過ごしていきたいぜ。
おわり。
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