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「残機」ってゲーム上の記号でしかないんだけどさ

ビデオゲーム用語に「残機」というものがある。
主にアクションゲームやシューティングゲームに用いられ、プレイヤーが操作するキャラクターの活動回数 = ミスをしても許される回数であり、これが0になればゲームオーバーとなってしまう。要は残機が3だったら3回まではミスってもゲームを続けられるよっていうルールを暗黙的に示しているのである。

しかしこれはゲームをシステム上成立させる為の記号でしかなく、多分ゲームの世界では(世界観やキャラクターの設定がない限り)死んでも生き返っている訳ではないだろう。マリオだって不死身な訳じゃないのだ。

ふと思ったんだが、この残機ってのが現実世界に持ち込まれたらどうなるんだろう。命というものは一度失えば二度と取り戻せないから尊く、そして儚いものではあるが、この世に残機制が導入されたらあっという間にその価値が軽んじられてしまうのは想像に難くない。

ビデオゲームに限ったことではなく、よく小説や映画等の創作物でも「一度亡くなった人を生き返らせるのは禁忌」という考えが出てきたりする。私もそうだと思う。そんなホイホイ死者蘇生が出来るようになってみろ、多分この世から「尊厳」という言葉が無くなっちゃうだろ。

あと「永遠の命」を求めるキャラクターは多く見られるが、不思議と共感は出来ないんだよな。「永遠の若さ」ならめちゃくちゃ共感できるんだが。
仮に不死の力を得たとして、その先に待っているのは限りない虚しさしかないと思う。知り合いという知り合いは全て先立たれるし、自分を知っている人がいない中で友人知人を作ろうにもその人たちまでもまた先立たれてしまう。そんなイタチごっこの繰り返しに耐えられる自信が私にはない。

何度も書いてると思うが、私は老いることを非常に恐れている。老いたくなくて老いたくなくて震えている。私が西野カナだったらそんな曲を出していると思うぐらい怖い。

ただ、語弊があるが「死にたくない」とは思っていない。そりゃ今すぐ命を落とすのは本意ではないが、いずれ訪れる「死」に対しては潔く受け入れようと思っている。

不死とは違うけど、自分がエルフみたいな長命種じゃなくて良かったなと思っている。周りも同じように長命だったらまだ良いんだろうけど、自分だけ生きながらえていく感覚なんて味わいたくもない。

この世に生を享けた以上、いずれは土に還るというのは自然の摂理だと思うんだよな。それをいったら老いだってそうだろうがと突っ込まれたらぐうの音も出ないが、そこは一旦スルーしてくれ。そこだけは摂理に抗いたいんだ。

残機制が導入された場合、例えば100歳まで残機を減らさず大往生を迎えた場合、すぐ復活するのかな。嫌だなぁ。周りの親族が悲しんでるのにまたパッと生き返っちゃったら涙の流し損じゃん。いや、残機があるのが分かってるから「どーせまた生き返るって」みたいに思われるのか。どちらにしろ命の尊さが、その価値がえげつない程に失われている。

しかし不慮の事故によって失われた幼い命などであれば蘇生されるべきとも思うんだよなぁ。でもそれはそれで「生き返るんだから問題ない」という歪曲した倫理観を生んでしまいそうだ。嫌だなぁ。

まぁ今すぐそんな世の中になる訳ではないので、これからも一日一日を大事に生きていくしかないな。命に残機が与えられないことを祈ろう。

おわり。


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