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226事件と財務省解体デモの共通点・相違点

89年前の昭和11年2月26日、首相官邸や警視庁、陸相官邸などが軍隊に襲撃される「226事件」が勃発。

時代は下って令和7年現在、霞ヶ関の財務省前で一般国民による「財務省解体デモ」が起きています。

昭和に起きた軍人による武力テロ事件と、千人規模が集まり声を挙げる「国民一揆」。

次元の異なる2つの動きですが、両者を比較すると、意外な「共通点」や興味深い「相違点」が見えてきます。

まずはそれぞれの概要を見て、何が一緒で何が違うか、比較して何が見えてくるのか、探っていきましょう。


226事件とは

226事件とは、昭和11年2月26日に起きた「特定の青年将校グループによる武力クーデター未遂事件」です。

陸軍の「皇道派」と呼ばれる青年将校グループが歩兵連隊1,500名余りを率いて首相官邸や陸相官邸を襲撃し、多数の政府関係者と警察官の命を奪いました。

反乱将校たちは警視庁を占拠して陸相官邸に立て籠もりますが、奉勅命令による戒厳令で出動した鎮圧部隊からの投降勧告を受け、29日に投降。関係者は逮捕され軍事法廷にかけられました。

財務省解体デモとは

財務省解体デモとは、不況なのに緊縮増税路線をひた走る財務省に怒り立ち上がった国民による抗議運動です。

今年に入ってから連日霞ヶ関の財務省前に群衆が詰めかける光景が見られるようになり、「財務省は国民のための仕事をしろ」「税負担を下げろ」「財務省解体!」など、集まった人々は減税を拒む姿勢や物価高への無策、税負担率の高さに怒りの声を挙げています。

SNSを中心とする呼びかけに集まったデモは千人規模に膨れ上がり、デモを取り上げるXの投稿には多くの反響と賛同の声、マスメディアやインフルエンサーも取り上げる事態になっています。

226事件と財務省解体デモの共通点

226事件と財務省解体デモの共通キーワードは「経済」です。

「不況と生活苦」が動機

226事件も財務省解体デモも、背景にあるのは「未曾有の景気不況」です。

226事件当時の日本は昭和恐慌の後遺症で不景気が続き、企業は倒産し労働者は失業、農村は飢餓にあえいで国民は途端の苦しみを味わっていました。

226事件を起こした青年将校グループは、国民を見殺しにする政府に痛憤し、現状を打開すべく決起したのです。

財務省解体デモに集う人々の動機も、長引く不景気で多くの国民が苦しんでいるのに目を向けず、税負担を軽くしない財務省への怒りが根底にあります。

昨年の衆議院総選挙で国民民主党をはじめ減税を訴える政党が軒並み議席を伸ばしたにもかかわらず、「103万円の壁」引き上げすら認めようとしない政府と、その背後に隠れる財務省に怒りをぶつけたくなるのは当然でしょう。

国民の切実な声がある

226事件も財務省解体デモも、切実な国民感情に突き動かされて起きた現象です。

士官学校出の青年将校は階級の低い兵卒とも近しくなれる立場にありました。兵の多くは貧農か、労働者階級の出身です。226事件を起こした青年将校たちも部下の兵卒たちから実家の窮状や娘が身売りされる問題を聞き、それを通して国民全体が悲惨な経済状態にある事実を知ったのです。

国民も、財閥と癒着して腐敗堕落する政治家などあてにならず、現状変更を訴える青年将校やエリート軍人に期待をかけていました。

「その後どうするのか」のビジョンがよくわからない

生活苦の元凶である政府や財務省を倒したとして、その後は一体どうするのか?

この点も226事件と財務省解体デモには共通して言えることだと思います。

226事件の首謀者たちは、自分たちの行動を天皇に認めてもらい、内閣を刷新する野望を持っていました。

ただ、自分たちが信奉する陸軍の上官を首班に据えること以外、内閣人事の構想や政治組織に対する明確なビジョンなどはなかったようです。

肝心の経済政策は、彼らの思想的指導者である北一輝が国家社会主義思想に基づく統制経済の必要性を主張していたことから、おそらくこの路線を考えていたものと思われます。

財務省解体デモに関しては、「解体」はあくまで注目度を高めるためのスローガンで、国民の声を直接届けることに主眼が置かれているものと推察されます。

「間違った経済政策を進める財務省にNO」を突きつける思いは参加者みんなが共有していても、経済政策の手段や目標、支持する政策や政党は一人ひとり違って当たり前です。

財務省解体デモは、国民が結集して権力機構という巨大な岩を動かすための手段として、冷静に見るべきものかもしれません。

226事件と財務省解体デモの相違点

両者を比較して、「主体が軍人か国民か」「手段が実力行使か平和なデモか」は決定的な違いですね。

ただここでは外形上の違いは置いといて、もっと本質的な違いに迫ってみたいと思います。

そのポイントは、「ターゲットを正しく据えて変革を迫っているか」。

財務省解体デモのターゲットは言わずとしれた財務省。

30年以上に及ぶ「日本だけ成長しない問題」「経済の低迷」の元凶は財務省主導の緊縮財政・増税路線にある可能性が極めて高く、そのせいで国民は苦しんでいるわけだから、攻撃の矛先を財務省に向けるのは間違いとは言えません。

一方、226事件の首謀者たちは、「財閥と結びつく奸賊」との理由で高橋是清大蔵大臣にターゲットを定め、銃殺しました。

しかしこれは、経済不況から脱して国民生活を救う手段としては、致命的に間違っていたと言わざるを得ません。

高橋是清は「緊縮財政」から「財政出動」にシフトし景気を改善していた

確かに226事件当時の日本は昭和恐慌の後遺症から立ち直れず、不景気に苦しんでいました。

しかしその原因は、浜口雄幸内閣が金本位制を復活させ緊縮財政路線まっしぐらの政策を推し進めたことにあります。

昭和初期の大不況の元凶はすべてここに起因するといっても過言ではありません。

第一次世界大戦が終わり、世界各国はそれまで停止していた金本位制に復帰。

浜口雄幸内閣が金本位制を復活させたのもこれにならったものですが、そのタイミングで大戦後の大不況の波が世界を襲い、日本経済にも大打撃を与えました。

金本位制を導入すると、金の保有量までしかお札を刷れません。

つまりは緊縮財政です。世の中は大不況というのに政府は財布のヒモを固くしめ、国民には増税を課し、国内にまったくお金が回らない事態に拍車をかけました。

さらに大蔵大臣の井上準之助が円高になるような政策を進めたせいで、経済のデフレ化が加速し物価は下落に歯止めがかからず賃金もダダ下がり。失業者が大量にあふれ、農村は疲弊し、娘を身売りしなければならないほど状況は深刻化しました。これが昭和恐慌と呼ばれるものです。

この金本位制と緊縮財政路線に終止符を打ったのが、犬養毅内閣で大蔵大臣になった高橋是清です。高橋はデフレ時には必要な分のマネーを市場に供給する「リフレ政策」を推進。515事件で犬養毅が暗殺された後も留任し、市中に大量の通貨を供給する大規模な金融緩和を打って経済を回復路線に乗せました。

高橋は、昭和2年に起きた銀行の取り付け騒ぎに端を欲する金融恐慌も、大量にお札を刷って銀行に配り、事態を収束させた実績があります。高橋が昭和初期に手がけた政策とその結果を見れば、不景気のときには何をやればよいのかは明白なのです。

そんな正しい経済政策を打ち出して経済を回復させようとした高橋是清を、226事件の青年将校たちは殺めてしまったのです。高橋亡き後大蔵大臣に就任した馬場暎一なる人物がこれまたとんでもない経済オンチで、景気が完全に回復していないのに思い切り増税にアクセルを踏んだため、再び日本経済はどん底に落ちます。

青年将校たちが財閥憎しのあまり、資本家と近い関係にあった政府閣僚の高橋是清の命を奪ったことは、日本経済にとって痛恨の一大事だったと言わねばなりません。226事件の大きな不幸の一つは、青年将校たちに正しい経済の認識がなかったことと言えるでしょう。

財政経済政策の責任主体は政府。しかし黒幕は財務省

デフレ(不況)時に緊縮・増税政策を進めるのは究極の愚策であることを、私たちは昭和恐慌の歴史から学べるはずです。

今の財務省はまさしく昭和恐慌を引き起こした浜口雄幸内閣の悪夢を再現しており、そこに批判の矛先を向ける財務省解体デモの経済認識は正しいと言えます。

こうした財務省批判・財務省解体論に対し、「責任は政府にあるのだから財務省にすべてを被せるのはおかしい」といった批判があります。

実は私もそう思います。責任の主体はもちろん政府であり、官僚の上司である政治家が厳しく財務省を指導して正しい経済政策へ転換させればよいことです。

ただ、財務省もロボットではありません。彼らは彼らの論理があり、組織文化を持ち、「省益」に基づいて動く集団という一面を持っています。

彼らのいちばんの関心は、国民生活が豊かになることでも日本経済が成長することでもなく、「プライマリーバランスの黒字化」、つまり国の歳出はできるだけ切り詰めて少なくする、それによって国家を黒字化させること、ただそれだけです。

だから彼らは「緊縮増税路線」に徹底してこだわり、国会議員や政府閣僚を巧みにレクチャーして「洗脳」し、政策を飲ませます。東大法学部出の頭脳集団なので、ボンボンの世襲議員や知名度だけの元アイドル議員を籠絡するなど簡単でしょう。

財務官僚たちが政治家相手に財政再建の重要性やプライマリーバランス黒字化の必要性について熱心にレクチャーし、「ザイム真理教」(森永卓郎)の教徒たちを政界にたくさん育ててきたことは、多くの政治家や経済評論家、官僚出身の文化人たちが証言するところです。

私は未読ですが、あの安倍元首相も、消費増税を二度スキップする際、財務官僚たちの凄まじい妨害工作に遭って苦労した経験を回顧録で語っているそうです。

政府を動かせればいちばん良いのですが、その黒幕である財務省に鉄槌を下すことで政策が変わり国民生活が改善すれば、それはそれでよいことではないでしょうか。

参考までに、財務省のデタラメぶりや矛盾、論理破綻がわかる動画を挙げておきます。

https://www.youtube.com/shorts/fFyHRppzR9s


226事件から政治家・官僚・国民が学べること

国民を救いたい一心で行動に出た226事件の青年将校たち。

その心がけは立派でも、経済の無知から大蔵大臣を殺め、正しい方向へ向かうはずだった日本経済を頓挫させた罪は大きいといえます。

当時は多くの国民が腐敗した政党政治に見切りをつけ、青年将校やエリート軍人に期待しました。しかし、期待を向けた軍部指導者たちに正しい経済認識を持つ者はほとんどおらず、彼らが推進した統制経済が国策となり、国民は窮乏することになりました。

国民には、正しい経済観を持つ政治家や指導者を選ぶ姿勢が求められます。

正しい経済観を持つ政治家とは、不況時には大胆な金融緩和と財政出動を推進して物価の安定を図る高橋是清のような人物です。

そして景気が悪くて企業も国民も苦しんでいるときは、減税して税負担を軽くすることが経済の鉄則であり、こんなときに増税などを訴える政治家や官僚などは論外です。

「民のかまど」で知られる仁徳天皇はじめ、我が国の為政者たちは国民を「大御宝(おおみたから)」と大切に思い、常に国民の生活に思いを馳せ、飢饉や疫病、食糧難で苦しむ様子が見られたら税や労役を免除したと『日本書紀』『続日本紀』にあります。

国民を豊かにすることは国家の務め。国民が豊かになって国も潤います。政治家や官僚たちは、いい加減襟を正して、国民の声に真摯に耳を傾けて欲しいものです。テロもクーデターもない時代だからと甘く見ていると、とんでもないしっぺ返しを喰らうことになりますよ。





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