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いまさらレビュー:安部公房の遺作「カンガルー・ノート」を読んで

死とユーモアが織りなす不条理な夢の旅路:安部公房の遺作『カンガルー・ノート』

安部公房の遺作となった長編小説『カンガルー・ノート』は、読者を迷宮へと誘う難解な作品として知られています。しかし、その奥には、死、アイデンティティ、そしてユーモアといった普遍的なテーマが巧みに織り込まれています。

脛にかいわれ大根が生えてくるという奇病を患った男は、訪れた病院の医師によって自走ベッドに括り付けられ、療養のために硫黄温泉を目指す。男は自らのかいわれ大根を齧りながら、自走ベッドとともに、地下坑道、賽の河原…と、夢とも現実ともつかない物語の連鎖を巡る。しかし既に郷愁すら感じていたベッドの破壊と、魅力的な少女との再会とともにその連鎖も終焉を迎える。夢から醒めさせられるような、男の死をにおわせる無機的な新聞記事の抜粋とともに、物語は終わる。
死のイメージに溢れており、当時病床にあった安部と合わせて語られることの多い作品である。だがその語り口は軽妙であり、ありがちな暗鬱さは感じられない。

ウィキペディア「カンガルー・ノート」


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死の影とユーモアの絶妙なバランス

主人公は、ある日突然脛からカイワレ大根が生えてくるという奇妙な現象に遭遇します。病院で診察を受けようとするも、医師は原因不明と診断。さらに、物語は、現実と夢、生と死、過去と現在などが複雑に絡み合い、読者を迷宮へと誘います。
ベッドが勝手に動き出し、三途の川、賽の河原など、雑貨ショップ 物欲、様々な場所へ舞台を移し、小鬼、ドラキュラの娘など、様々な登場人物に出会い、死への不安、アイデンティティの喪失、人間存在の意味など、深いテーマが掘り下げられます。

これらの出来事は、当時病床にあった作者自身の死を意識した表現のようにも読み取れます。しかし、安部公房はユーモアのセンスを忘れず、奇妙な登場人物や三途の川の滑稽な風景など、笑える場面も随所に盛り込んでいます。


「カンガルー・ノート」って結局なんなんだ。

小説のタイトルにもなっている「カンガルー・ノート」は、主人公が勤務する会社の商品企画会議で提案する新製品の名前です。カンガルーのようにお腹にポケットを持つノートブックというアイデアは、一見奇抜なようですが、物語の深層心理と密接に繋がっている可能性があります。

カンガルーは、胎生ではなく有袋類であり、子を育てるための袋を持っています。これは、主人公が自身の存在や生命の根源について問いかける象徴として無理やり解釈しました。また、鏡に映したようなもう一人の自分と対峙する場面も、自我の多様性やアイデンティティの不安定さを暗示しているのかもしれません。


読み解き続ける楽しみ

『カンガルー・ノート』は、読み解くたびに新たな発見がある奥深い作品です。それぞれ異なる視点から解釈を楽しむことができます。

生と死、ユーモア、謎めいた展開など、様々な要素が複雑に絡み合い、読者を迷宮へと誘う。この小説は、私たちに死とは何か、自分とは何かを問いかけ、答えのない問いと向き合うことを促します。


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安部公房の「私小説」としての側面

本作が後書きにて「闇莫の私小説」であると指摘されています。確かに、作品には安部公房自身の体験や感情が投影されているように感じられます。

例えば、主人公は文房具会社に勤務しており、これは安部公房自身が戦前に出版社に勤務していた経験と重なります。また、主人公の脛から生えるカイワレ大根は、安部公房自身が病床にあったことを暗示しているのかもしれません。

しかし、安部公房は自身の感情を露わにすることはせず、常に壁を隔てて読者を遠ざけるような書き方をしています。これは、彼のシャイな性格や、読者に自由に解釈を委ねたいという意図によるものと思われます。

まとめ

『カンガルー・ノート』は、難解な作品という印象を持つ人もいるかもしれません。しかし、ユーモアや奇想天外な展開を楽しめば、自然と物語に引き込まれていくでしょう。死というテーマを深く考えたい人、安部公房の独特な世界観を味わいたい人におすすめの一冊です。

読み終えた後も余韻が残り、何度も読み返したくなる奥深さがあります。

難解な作品であると同時に、読み解く楽しみを与えてくれる『カンガルー・ノート』。何度も読み返すことで、新たな発見があるかもしれません。


安部公房の文学世界を堪能したい方、死とユーモアをテーマとした作品に興味がある方、そして、自分自身と向き合いたい方にオススメの一冊です。


むかし人さらいは
子供たちを探したが
すべての迷路に番号がふられ
子供の隠し場所がなくなったので
いま人さらいは引退し
子供たちが人さらいを探して歩く
いまは子供たちが
人さらいを探している

だれも人生のはじまりを憶えていない
だれも人生の終わりに
気付くことは出来ない
でも祭りははじまり
祭りは終わる
祭りは人生ではないし
人生は祭りではない
だから人さらいがやってくる
祭りがはじまるその日暮れ
人さらいがやってくる

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