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善き社会への青写真(ブループリント)を我々は持つ〜ブループリント 上巻

扇情的といってもいい帯文には閉口しつつも、やはり影響は受けて(ようするに購入して)しまうのであった。

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とくにウイリアム・ヘンリー・ゲイツⅢ世(ビル・ゲイツともいう)の

これほどの『希望』を感じて本書を読み終えるとは、予想もしなかった

の「希望」はどんな希望なのか。(つい斜に構えてしまう)たぶんというか間違いなく一般庶民の指すそれとは違うだろう。

この「コロナの今こそ」も癪に障ります。(そもそも単に「コロナ」というのであれば、コロナはずっとずっと前からあり、共存してきているし)

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「ファクトフル」はきっと『FACTFULNESS』から引っ張ってきてるんだろうけど、そもそもそれだって読んだ人たちがどれだけ読めてるのか甚だ(はなはだ)疑問。(読めてたら、こんな光景が日常、ニューノーマルなわけがない)

ま、そんな文句からはじめてもしようがないので、本書について。

上下巻のうち、まだ上巻しか読んでいないのだけれど、人類の進化論的な本質を探る旅なだけあってスケールがでかい。(幅も深さも)

その本質は善であり、善き社会への青写真(ブループリント)を我々は持つという視点、概念を明らかにしていく考察の旅。

異文化間のこうした類似性はどこからやってくるのだろう?

人びとはお互いに(戦争さえ初めてしまうほど)大きく違うにもかかわらず、一方でとてもよく似ているなどということがどうすれば可能なのだろう?

根本的な理由は、私たち一人ひとりが自分の内部に「善き社会をつくりあげるための進化的青写真」を持っているという点にある。

著者はこれ(ブループリント)をソーシャル・スイート(社会性一式)と呼び、古今東西のあらゆるコミュニティ(人間社会)を徹底的に検証する。

その広さと深さのスケールに圧倒され、正直なところ著名人たちが感銘を受けて送っている賛辞に見合うだけの「読み」が出来ているかといえば、否(いな)である。

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それでもこうした自分の宇宙の外にあるものに触れることはそれ(自分の宇宙)を揺り動かし、拡張するのにおおいに役に立つ。

珍しく具体的な内容に触れると、個人的には(上巻において)第2章「意図せざるコミュニティ」、第3章「意図されたコミュニティ」がとても面白く、いろいろと刺激、学びとなった。

「意図せざるコミュニティ」では主に難破事故によって、仕方なく築かざるをえなかったコミュニティについて。

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「意図されたコミュニティ」ではアメリカにおけるユートピア建設の試みを軸に、イスラエルのキブツやシェーカー教団、ブルック・ファームといったコミュニティの栄枯盛衰、流れについて。(おまけ?として、ラルフ・ウォルド・エマーソンやヘンリー・デイヴィッド・ソローといった超越主義についても)

私がとくに好きというか、へーとうなったのが意図せざるコミュニティで紹介される「シャクルトンの南極コミュニティはなぜ成功したのか」。

極地探検家のアーネスト・シャクルトン率いる南極大陸への探検旅行における絶望的なサヴァイブ(生き残り)の様子がすこぶる興味深い。

そもそもシャクルトンがこの探検旅行のために人材を募集した広告は以下のような内容で、これでよく集まったなとも思う。

冒険旅行に加わる男性を求む。賃金僅少厳しい寒さ。真っ暗闇の中での長い数ヶ月。絶え間ない危険。無事な帰還は保証せず。成功すれば名誉と社会的評価あり

「無事な帰還は保証せず」とあるように、案の定大変な目に遭うわけだけれども(ほぼ二年にわたって氷の世界に閉じ込められる)、奇跡的といっていいほどの機能的コミュニティを築き、維持し、結果、死者はひとりもでなかった

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その理由はさまざまあるけれども(詳しくは立ち読みでもいいから読んでください)、私はその極限状態にあっても日常と変わらぬカタチに身を従わせたことがあるのではないかと思う。(これもある意味肉体の式神化)

重労働(いい意味で強制された)もそうだし、その逆はユーモア、娯楽といったもの。

一行のひとり、フランク・ハリーは日記でこう記している。

本日、南極ダービーステークスで大がかりな仮装パーティと賭け事が行われる。現地の通過であるチョコレートとタバコが手に入るだけ集められている……働き手は全員がレースを見るために休みをもらっている

ダービー?
仮装パーティ?
遭難しているのに?

もう一つの特別な日である冬至には、女装したり歌ったりといった30もの余興が行われると、ハリーは伝えている

別の日誌ではトーマル・オルデ・リーズ少佐(のちにパラシュート降下のパイオニアとなる)が以下のようにつづっている。

私たちは数曲の時事的な歌を含む24の出し物からなる盛大なコンサートを催し、私の人生で最も幸福な日々を締めくくった

極寒、極限の果てで「最も幸福な日々」が送れるなんて誰が想像できるだろう?

このシャクルトン隊の例は稀有といってもいいものではあるけれど(真逆の悲惨なものも多々紹介されている)、決して唯一のではなく、魂の高尚さ、自由さを失うことなく(むしろ普段より高めて)こうした状況を克服できる能力を我々は持っている(ソーシャル・スイート)と信じる根拠を示してくれている。

この一点だけでも本書(しつこいようだけれど、まだ上巻)を読んで得られた体験は大変有意義であった。

そして下巻へ。

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