ほめられるのが苦手〜Originals
先日「ほめられるのが苦手」という相談を受けました。
私もそうですが、そういう人は少なくないのかもしれません。
嬉しさ反面、そういうところ(ほめる部分)に気づくくらい丁寧に見られているのかと思うと照れるというか、ちょっと気恥ずかしくなってしどろもどろになることがあります。(ドキドキします)
そういうのではなくて、いわゆるエフィカシーとかエスティームといった「自尊心」が低い場合もあるのかもしれません。
こんな私がそんな(ほめられるような)ことを言われる資格はないとか。
よくいえば謙遜ですが、我々はこれを内なる悪魔、クリエイティブ・アヴォイダンス(創造的回避)ということもあります。
実(じつ)が伴っていないのに自信満々でハイ・エフィカシーというのはそれはそれでどうかと思いますが、何の役にも立たない、機能しない(むしろ阻害する)謙遜なんてやめて、そうした良い面(ほめてくれるような)をよく見つけてくれたと(その人のそのセンスを肯定しつつ)感謝して、素直に「ありがとう」でいいかと思います。(自分自身にも言ってます)
そして、そこに自信と「責任」をもって、意識して伸ばしていけばいいのではないでしょうか。
もしかすると、この「責任」を回避しようとするところもあるのかもしれませんね。
以前読んだ本でAdam Grant(ビジネススクール ウォートン校の最年少終身教授)が書いた『Originals』というのがあって(以下はTEDでの動画)
その中で、迫害を受けていた当時のユダヤ人をかくまったりして助けた人たちについて、それを(助ける)した人とそうしなかった人たちとの違いを、幼少期にどのように親や周囲の人たちに育てられたかを調査して原因を探る部分がありました。
ほめられるような何か良いことをしたとき、行為そのものをほめるのではなく、その行為をすることを選んだあなたが素晴らしいのよと、人格を肯定、認めることが大事で、そこが違いを生んだのではないかと推論していたかと思います。
なんとなくわかるような気がします。
これもまたゴールに引き寄せて考えると理解しやすいかもしれません。
しつけ、教育の目的(ゴール)をどこにおくかで、行為をほめるのか、それともその行為をなした人格(存在)を認めるのかが変わってくることもあるというふうに。
これは間違いや失敗をしてしまったときにもいえるのかもしれません。