今ここにある危機〜マインド・コントロール
帯にある21世紀なんていう大きなスケール、スパンでみるまでもなく、今ここにある危機としてとても有意義な読書体験でした。(本書は増補改訂版として2016年に発行)
今ここにある危機とは、そう、例の感染症騒ぎからくるもろもろ。
マインド・コントロールとか洗脳というとマルチ商法とかカルト教団とか(そこまでの規模でなくとも)霊感商法とか、わりと自分(フィジカルで感じられる「個」)への距離感、体感みたいなもので測りがちだけれど、どの視点で見るか(抽象度の階層といってもいい)で、まさに今目の前で起こっていることもそれなんだと、マトリックスのネオ状態に。(ユーリカ!でも可)
主体的に考えることを許さず、絶対的な受動状態を作り出すことが、マインド・コントロールの基本なのである。
本人の主体性を奪い、操り人形やロボットに仕立て上げようと思えば、常に情報過剰な状態に置き、脳がそれらの情報処理で手いっぱいになり、何も自分では考えられない状態にしてしまえばいいということになる。
これは普通に、当たり前に世の中で行われていること。(マスメディア、とくにテレビジョンについては受像機器を持ってないので実感はないのだけれど)
上から下は見えても、下から上は見えない問題があるので、ここでこうしたことをしていても、なにがどうなるともいえないのだけれど、ワタクシもまだまだ未熟なので怒りという誠実な友人とこうしてダンスを踊りたくなることはあるのです。
筆者(岡田尊司さん)の「おわりに」から、これまた「今」突きつけられている(そしてゾンビのようにそれに突き従わされている)状況を予見している(というか、時代に関係なく人は常にこうした性向を持つというべきか)ところを引用して終えます。
マインド・コントロールの問題が突きつけている問いは、われわれ現代人に、自らの運命を選ぶ主体性はあるのかということに思える。
情報の洪水と希薄化するリアルというアンバランスな状況に暮らすわれわれが、果たして自ら選択したと言える生き方をすることができるのか。
外からもたらされる情報や空気を鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考え、体験のみならず過去の歴史に照らし合わせて判断し、冷静さを忘れずに行動することはできるのか。
こうした状況だからこそ、その問いは、いっそう重要性を帯びているように思える。