フォークナーの作品を読む、楽しむのに素晴らしく役立つ副読本というかサブテキストとしてすこぶる機能する〜ポータブル・フォークナー
アメリカ南部に位置する架空の土地を舞台にした一大叙事詩、壮大な群像劇、神話(サーガ)がフォークナーの作品世界。
ふつうに読んでも、必死に読んでも、一生懸命読んでも「なんだこりゃ」感が否めない作品が多いけれど(いわゆる「意識の流れ」という手法のせいで)なぜかハマるというか、読後の放心状態がたまらない。
『響きと怒り』がヘヴィで暗く、救いがなくて(しかも難解で)ちょっときつかったかなぁと思い、じゃ短編集でちょっとは軽く(カジュアルに)触れようじゃないかと思ったら甘かった。長短の問題ではなく、フォークナーはなにを書いてもフォークナーだった。しかも、短編集とはいえ全体では700ページ超(二段組)。タイトルは『ポータブル・フォークナー』なのに(全然ポータブってない)。
とはいえ、本作はフォークナーの作品を読む、楽しむのに素晴らしく役立つ副読本というかサブテキストとしてすこぶる機能する。「なんかよくわかんない、いや、全然わかんない」ものも、これだけ濃密に集まると、相応にゲシュタルトが構築されるというか(豪華な訳者陣、解説、家系図なども作品世界を堪能するのを助けてくれる)。
それもそのはずで、装丁がわりと現代っぽいから最近のものかと思ったら、フォークナーと同時代のひとによるもので、編者(マルカム・カウリー)による本作の出版のおかげで、それまではさほど注目もされず、作品は絶版となっていたのが、これを機に復刊、注目され、はてはノーベル文学賞受賞につながっていくという(ノーベル賞の価値、功罪はおいておくとしても)ドラマを持つ。
こういうのが出る(出版される)っていうのも、フォークナーの特異性というか、価値のまごうことなき証左なのだろう(とくに日本語版において)。
生きているうちに知れた、出会えた作家、作品として、極上の希少性に感謝。