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『子どものため』の意味を考え直す②

『子どものため』という言葉が独り歩きし、『大人のため』という意味にすり替わってしまわないように、『子どもの何のためなのかを明確にしておく必要がある。その内容として、以下の2つの考えを示す。

①自己理解
 1つ目は、『自己理解』のためだ。
 自分が何が好きで、得意で、どんなことを大切にしたい人間なのか。どんな人と接しやすくて接しにくいのか。どんな境遇に置かれているのか。自分自身のことは大人になっても意外に分からないものであり、大人になったからこそ見えづらくなる。言語化しようとするならなおさらだ。
 私は数年前、精神疾患になったことをきっかけに人生で初めて自己理解に真剣に取り組んだ。臨床心理士とのカウンセリング、セミナーや書籍等、あらゆる方法、角度で自己を見つめ直した。三十数年生きてきてびっくりしたことは、
 「自分のことがこんなに分からないものなのか。」
 ということだ。自分が置かれていた境遇に気付いたりや本来の自分とずれた行動をとったりしていたことに、ショックも受けた。
 しかし、自己理解を1年、2年と続けてきたことで少し道が拓いてきた。ただ自分のことが分かっただけで、新しい自分になった気がした。力を入れるべき場面とそうでない場面、大切にしておくべき仲間とある程度の付き合いをしておけば良い知人。また、教員以外の生き方と働き方等に気付くことができた。
 子どもたちも、幼少期から遊びや学びを通し、自己を見つめ分析するような、自己理解の機会をたくさんもってほしいと思う。そしてそれは、教育活動全体の中で行われ、その支援を教師や保護者はすべきであると考えている。自己を理解した人間はその先の可能性を大きく広げることができる。

②課題解決力
 2つ目は『課題解決力』を伸ばすためだ。
 自ら考え、判断し、決めたことを実行する力。また必要に応じて、調べたり人に相談したりしながら吸収し、表現していく力。そのような生きていくためのスキル全般のことだ。
 学校の教科指導では、学習指導要領の内容について"知ること"や"できること"に、まだまだ比重が置かれ過ぎであることが残念である。インターネット、SNSが発展したこの時代、"知らないこと"はさほど問題ではなくなったと思う。知らないことはすぐスマホで調べることができる。しかも画像や動画付きでだ。
 例として、"生活上の計算"について考えてみる。この時代は買い物中、概算できなくても紙とペンを取り出して筆算する人はそういないだろう。少なくともスマホを持っている人は、アプリの電卓を使う。"字をきれいに書く"ことについてもそうだ。小学校からタブレットやPCの端末が支給されている。基礎的な読み書きができれば、キーボードに字を打ち込めば美しく書かなくても事足りる時代がそう遠くないところまで来ている。
 だから子どもたちに必要な力は、物事の知識だけではなく、
 ・何が正しくて正しくないか
 ・何が必要で必要ではないか
 ・目的や用途に合っているか
等のことを考え、判断し、伝えていく力である。これを私は『課題解決力』と考えている。

 以上の
  ①自己理解 
  ②課題解決力 
 最後に、これらの力を、『他人に依存しない力』とも言い換えたい。数年前のコロナ禍で、日本は見通しのもてない不安を経験した。全国休校を経験した学校関係者なら、なおさらだ。
 仲間は必要。人と人との絆を否定しているわけではない。でも、先行きを順調に読めない社会にあって最後まで信用できるのは"自分自身"である。小学校教員としての経験上、多くの子どもが、親や教師に依存してしまっている傾向が強いと感じる。自分で解決可能なことでさえ、保護者や教師に頼ってしまっているのだ。
 『自己理解』したことをもとに『課題解決』できる。そういう子どもを育てていくことが教師、大人の役割でありたいと考えている。

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