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教員免許と採用試験、なくても・・・いいんじゃない?

▶はじめに(炎上覚悟で)

 現代の『教員不足』については、詳しく言うまでもないと思います。私も自分から教員という立場を手放したうちの一人です。"子どもが好き"、"教育への使命感"という価値観だけでは、教員は確保できないくらい日本になってきました。
 私は、この現代の教員不足を考えるに当たり、教員免許や採用試験の必要性について提案をしたいと思います。炎上も覚悟の上ですが、自分の経験や所感をもとにできるだけ丁寧に書きたいと思います。

▶教員免許や採用試験の課題

 教員は、教員になるに当たり、幅広いスキルや専門性、そして良い人格が求められます。その上、公務員なので公正公平の態度が身分に付与され、"聖職者"となることを課せられます。
 しかし、少し立ち止まって考えてみます。これほどの人材は本当に日本にどれだけ存在するのでしょうか。教育系の法令や学習指導要領に目を通せば、もっと教員のスキルは細分化されています。例を挙げれば
・学習指導に優れている
・専門性に長けている
・国際的な感覚をもっている
・進路指導に長けている
・生活指導力がある
・子どもに寄り添える
・保護者対応力を備えている
・リーダーシップがある
・健康、衛生に知識がある
・危機管理能力がある
等々です。これは正直、思いつくまま書いており、根拠は調べていません。しかし、恐らく似たような文言は出てくるはずですし、現場では実際に求められます。教員を経験した方、採用試験の勉強をした方なら分かって頂けると思います。
 さて、これほどの人材が、日本にたくさんいるとはどうしても思えません。むしろ『0』に近いのではないでしょうか。スーパーマンかフィクションの主人公です。さらに最近では、感染症知識やICT技術、不登校支援ができることも欠かせなくなりました。さらに細分化すれば、教員に求められる条件はまだまだあります。求められる人材はあくまで理想で、現実離れしています。このような人材は確保できる方が稀であると言えます。

▶幅広い人材を教育現場に

 このように、教員のマンパワーに莫大なスキルを求めることはほぼ不可能であることが分かります。だからこそ、幅広い人材を登用し、それぞれの強みをもった教員が協働できるシステムを構築することをここで提案します。

▷もっと、ゆるくて良い

 「学校現場はもっと、ゆるくて良いのだ。」と私は従来考えています。一人の教員がマンパワーをつぎ込み過ぎており、コップの水は満タン、ゴムは限界まで伸びきっています。それも、前述したような求められる教員像に自分を当てはめ、強みでないことも強みであるかのように、現場では振る舞う必要があります。
 "人を育てる"教育事業は、尊いがゆえに確かに大変ではあります。しかし、対話を重視し、もっと子どもの声に耳を傾けながら、じっくり地続きで行われるものだとも思います。カリキュラムの削減もそうですが、もっと教員は教員という鎧を軽くし、力を抜くことが大切であると思えてなりません。

▷教員免許と採用試験のハードルを下げる

 だから結論として、教員免許や採用試験のハードルを下げ、幅広い人材を登用することが大切だと言えます。もちろん、そうすることは容易ではなく、他にも法令や様々な問題が絡みます。あくまで一つの例、手段として提案しています。しかし、多様な人材で教育課題に対応できるという意味では、マンパワーの高い教員を獲得するよりも、現代の教育課題に合った方法であると考えています。

▶度量の広い学校現場に

 「教員免許と採用試験がなくてもいい。」は言い過ぎかもしれませんが、もっとハードルを下げ、多種多様な人材が教員として登用されるシステムを考えることは大切です。多種多様な教員が、自身の強みを活かすことで、協働的に対話を通して子どもの教育に当たっていくのです。そうでなければ、せっかく新しく画期的な発想をもった若い教員もが、身に付ける必要のない重い鎧を身に付け、動きがぎこちなくなり、現場への風通しを悪くしてしまいます。そしてそれは結局、子どもの主体性を奪ってしまったり、子どもを硬直させてしまったりすることにつながります。
学校を度量の広い場にする工夫、多種多様な人間を受け入れられるシステムにする努力が今求められています。


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