『心と行動』の話をしよう
いじめ、不登校等の教育課題はなかなか改善の兆しなく、教員である先生方は日々奮闘されています。これらの教育課題は子どもの"心"が大きく関係しているのは言うまでもないでしょう。今回はそのことについて書きたいと思います。
"心"は変えられない
早速ですが、「心は変えられない。」というのが私の確固たる考えです。
若干、スピリチュアル的な話になりますが、人間が人間の心を変えること、負の感情を取り除くことはできません。心を変えるのは、成熟した思想や宗教のなせる業です。
人間である一教師が学校の中で子どもの心を変えることはできません。否、する必要がありません。
"心"は変えられない の例
「心は変えられない」。これを教師が集まる職員室の様子を例に考えてみます。
教師といっても、様々な考え方や方針があります。手取り足取り子どもに関わる教師もいれば、成功失敗関係なくどんどん経験させていく教師もいます。真逆の方針なんてことはよくある話です。「若いから何でも経験だよ。」と言い、若手に仕事を任せて上手く休もうとするベテラン、保身に専念し、現場教員を大切にできない管理職、様々です。
こういう状況がより顕著な時、職員室の人間模様はと言うと
・同僚同士の意地の張り合い
・気に入らない同僚の悪口
・無視
等です。
子どもに「美しい心をもとう。」「優しい心をもとう。」と教えている教師が職員室でこのような振る舞いです。もちろん全国の全職員室がそういうわけではありませんが、私はどれも実際に目にしたことがあります。
大人である教師でさえ、嫌悪する心や差別する心等の"負の感情"は変えることも取り除くことはできないのです。多感な子どもには到底無理な話です。
変えるべきは"行動"
前もって言っておくと、嫌悪する心や差別する心は悪いことばかりではありません。「生活上の危険を察知し、自身の身を守る」という使い方では良い方にも働きます。生きていくためには必要な心の動きです。
先ほど、職員室での"振る舞い"と言いました。問題なのは負の感情を"行動"にし、他人にぶつけていまうことです。つまり、誰かを「嫌い」だと思ったり「自分とは合わなさそう」「好きじゃない」と感じたりするのは当然のことで、そのままで良いのです。
問題はその先。その心のままに、「相手に暴言を吐いたり暴力を振るったり、集団で無視をする」行動が間違えているのです。"心のままに行動してしまうこと"が問題です。変えるべきは"行動"であり、コントロールすべきは心でなく"行動"です。
学校現場で起こる心が絡むような教育課題。特に『いじめ』に対処するには、この"行動をコントロールするテクニック"を子どもが理解する必要があります。
"心"と"行動"を切り離す
"心と行動を切り離す"には、その間に"一度立ち止まる"ということを教えることです。立ち止まった際は自己理解し、自分が損をしない行動を考え、選択できるようにします。
子どもが「あいつが嫌いだ。」「あいつは、あの時ああだったこうだった。」「顔も見たくないんだ。」子どもがそういう心の内を口に出したときはちゃんと受容します。
それらの言葉に対して教師は「そうなんだね。君はあの子が好きじゃないのか。」「きっと私には分からない嫌な気持ちを君は抱えてきたんだね。」等、言葉をかける。「心は心のままで良い。」とも伝えます。
そしてその後、立ち止まって一緒に考えるため、問いかけます。「このまま、暴言を吐いたり、暴力を振るったりしてイライラを解消したいかもしれないけど、どうしたい?」「ただ暴力暴言は、君が当たり前のように後で大人に叱られる。それに、やっちまったな。って後悔するよね。いじめになる行動をとると君が絶対損をする。それ以外にイライラを解消する方法がないか一緒に考えようよ。」
初めは、時間がかかりそうですが、いじめにならない行動ができるよう一緒に考え選択します。
まとめ
学校教育では、道徳が教科化したことからも思うに、子どもの"心"をどうにかしようとし過ぎです。もちろん心は大切なものですが、繊細です。問題行動があった時、「心を改めるように!」や「相手の気持ちになりなさい!」という指導はやっぱり横暴です。また、「優しい心をもとう。」「思いやりの心をもとう。」という説話や指導、これも少し違うと思います。その子の心はその子には分かりません。どの子のどんな"心"もまずは、「良いんだよ。」とありのままを受容すること。それを繰り返すことで、"心"はじんわりと膨らみ、自然と育まれていくもののような気がします。
学校教育で教えるべきは、"心のままに行動しないこと"、身に付けさせるべきは"行動のコントロールスキル"です。絶対に一朝一夕に身に付くものではありません。だから子どもとの地道な関わり、言葉かけが重要です。
行動を選ぶ際は、まず初めは"長い目で見て自分が損しない選択をする”これで良いと思います。そしていずれ、『他人の自由を奪って自分の自由は成り立ちはしない』これに必ず気付いて欲しい。まさに人権、尊厳に関わる部分です。
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