直感を信じ人生を設計するすべとは ショーケース 中村取締役インタビュー【後編】
このインタビューは、社員の皆さんに今まで知らなかったショーケース役員陣の価値観やエピソードを、インターン生が学生ならではの切り口でお届けする企画です!社員の皆さんのキャリアの判断材料となるような情報を提供することを目的に、インターン生が取締役のキャリアや価値観を深ぼりします。
今回は、株式会社ショーケース 取締役の中村 浩一郎さんにインタビューを実施しました。前編と後編に分けて、異次元の遍歴を歩んでこられた中村さんの、これまでのキャリアやモットーを紐解きます!
前編では、中村さんの異次元のキャリアについてお聞きしました。必読間違いなしです。まだ読んでいらっしゃらない方はぜひ、下のリンクから。
後編でも、前編に引き続き中村さんへインタビューを行います。前編で伺ったキャリアの話の中で、インタビューワーであるインターン生が気になった箇所について自由に質問しました。時間が足りなくなるほどにお話ししていただいた内容を余すことなくお伝えします!
ー大学時代は、なぜふらふらされていたんですか
50歳になった今だから分かったのですが、すごく教育が自分にとって嫌だった、合わなかったのだと思いました。最近分かったんですよね。なんでこんなにやる気がなくなってしまったのか。今の若い人にも気付いてほしいのですが、選択肢を他人から与えられる人生だから逆に早い段階でやる気がなくなってしまうんですよね。自分がやりたいことを探していく人生だったら絶対に飽きないと思いますよ。(中略)
そして高校くらいで授業を受けて黒板を見ていると吐き気がしてきて途中で帰っちゃったりしていました。大学時代は、なんとなく与えられた選択肢の中で輝いて見えた音楽をやったりとか、コメンテーターに憧れていたりとかしたのですが、小学生のころのヒーローになりたいのような夢を抱いていた自分にはなれず、無理やり今ある選択肢の中から選んでいたので、まったくハマりませんでした。しかし大学時代は無理やり選択肢の中から選んでいたことに気づけず、ずっと自分がダメだダメだと思っていました。
その中でも、予備校の講師が、大学合格後の教養講座で「親の脛をかじりなさい」、つまり思いっきり人間の幅を広げる、経験をたくさん積むべきだとおっしゃっていたことを都合よくも思い出し、いろいろな外国へ行ったりいろいろな人と接したりして、30歳まで見聞を広めてきたと思っています。
ーお話を伺っていると、見聞を広げるより自分から選択肢を掴みにいくという積極的、能動的な姿勢が軸のように感じたのですが。
あまり若いころはそこまで能動的に取りに行こうというほど心に余裕はありませんでした。直感で選んだどの選択も、ダメだ自分は間違っているという気持ちがついてまわっていました。今となってはその気持ちはいらないよと教えてあげたいです。
ー画一的なキャリアを歩む周りの人たちは新卒で就職して30歳で相当のポジションまで昇進しているように感じると思いますが、それに対する焦り等ありましたか?
今よりも周りの大人から「30歳、35歳になってもまだやりたいことが見つからないの?」と言われて、もっとやりたいことがいっぱいあるから一つに決められないと思ってはいたものの、すごい不安になっていました。しかし今となっては全然気にする必要はなかった、気にしないほうがよかったと感じています。就活ではどういう仕事をしたいのか、一貫性をもって答えることが望まれるけれど、小さいころからの夢をかなえている人はほとんどいないと思います。なぜみんな遊びたくて生まれてきているのに、仕事をして苦しい生き方を選んでしまうのでしょうね。
ー当時就職されていたなかで、周りからの評価を気にしていながらも、タイミングとしてなぜ西表島に住むという大きな決断ができたのか、そのメンタリティーを教えていただきたいです。
やりたいからやっただけです。あまり後先考えていませんでした。最悪西表島で人生を終えてもいいような気がしていたようなスタンスでいましたね。
今は小さい子供がいるので現実的ではないですが、そうでなければ全然何とでもできたと思いますよ。やはり、西表島は労働とその対価という画一的な世界ではなく、共同体内で、互いに尊重しあえる文化があることが非常に魅力だと感じました。お金ではなく地位でもなく、すべての機能が機能的に評価されていくスタンスがよかったです。
ーキャリアが一本道ではなくいろいろ直感で選んでいく中で、スキルはどう身につけられたのですか。
企業・組織に入る時には、まず第一は自分がどういう考えで、その企業にかかわるかがすごい重要だと感じています。自分がそこの経営者の気持ちで向き合っていないと時間が無駄なように感じるんですね。自分が経営者なら今何をするのかなと考えていますね。
また、前職の銀行が小規模な会社で縦割りプロジェクト制だったこともあり、さまざまな人と関わり合いを持ち、いろいろな仕事に目を向け携わることができたため、マーケティングスキルや商品計画、事業計画など広くなんでもできるようなスキルを身に着けられたということはあります。
ーつまり会社がどうしたいかというゴールを考えて、逆算して様々なアクションを出していくやり方をされているのですか
そこが大きいですね。しかし最近難しいと感じているのは、新規事業のときに、実際に業績が出るまでの間に目標をたてられるようなパラメータを作ることができない、データドリブンができない、ケースバイケースになってしまうと感じます。
ー今までの銀行での経験であったり、身につけたスキルが今までのショーケースの業務で具体的にどう役立ちましたか?
やはり学びながら調節していかないといけないと思います。特にBtoBのビジネスではニーズのあるモノをつくらなければならないので、売れているものの付属品をつくるような手堅い戦略をまずとるべきかなと思います。その資金源をもとに、裏で大きなことを広告を打ったりしながら取り組むべきかなと思います。
ー西表島に住まわれたり、いろいろな企業を渡り歩いてこられた中で、ご自身の何が評価されて取締役になったのだと思いますか?
この質問はすごく僕にとって不思議な質問でした。取締役がいいもののように思っているのであれば、「あなたが挑戦してみたら」という感じです。なぜ取締役になれているかといえばぼく自身やってみたかったし、やれると自分で思っていたからで、なぜみんながやらないのかというと、やれないと勝手に思ってるからだと思います。そのような自分の直感を信じるスタイルで、役員だって自分がやりたい!と手を挙げて、実直に頑張って成果を出せば良いポジションだと思います。結局は、人に評価されるためにやるものではなく、本当に自分のやりたいことに向かって思うようにやることが大事です。誰でもやろうと思えば、どうすればできるかも自分で考えればできる仕事だと思います。
ー話をいままで伺ってきた中で、いろいろなキャリアを歩む中で、起業は選択しなかったのですか。
いまだに悩むのですが、リスクとリターンを考えて起業が自分の中で腑に落ちなかったことが大きいですね。今の取締役の収入で、船を買って西表島に移住するという自分の望む生活は送れるので、それ以上お金があっても仕方ないとどこかで思っているのではないでしょうか。あと今は上場企業だからこそ手堅く、どこか安定を求めているようには感じます。
ー自分の希望や願いに忠実に生きられているそのマインドはどこにありますか?
選択して自分でやっていくと、不幸になるよ、君は何にもなれないよ、どこにも行けないよっていう嘘に気付けたことが大きいと思います。結果で示すしか頭になくて、とてもつらい思いをしたと思います。認められようという努力は必ずしも必要なかったことに最近気づいたのですが、それを自覚することで、能力自分が何かやって何かできるという自分の能力を疑う必要はなかったと感じています。ただ、自分をダメな人間だと思わず信じて何かができると思ってやることが大事なのではないかと思います。
ー最後にこれから大きなターニングポイント/大きなキャリアチェンジを迎える社員の方へメッセージをお願いします。
とりあえず直感で動き、それに付随するような頭で考える必要のある事は後に追いやっておくべきだと思います。これはどの年齢でもすべきですが、年齢的に躓いたときに次を見つけやすい、若いうちにやっておくほうが潰しは効くでしょう。若いうちの選択にずっと自信があったとは到底言えないですが、自ら選択していくことに悩む人生が楽しかったのかもしれません。やってみないと気が済まないような夢見がちな人こそ、本当に夢を信じてやっている人こそ最近は結構うまくいっているのではないでしょうか。
後編の振り返り
自分の人生の経験を通じて、他人の評価を気にすることなく、自分の実力と直感を信じて自らのキャリアを形成していった中村さんの話を聞けて大変光栄でしたし、その姿勢を貫いているからこそ中村さんが現在ショーケースの取締役としてご活躍されているのだと思いました。
今後もぜひ、機会があれば中村さんや他の取締役の方にインタビューしていきたいと思います。