振袖と思い出の写真館
振袖は時代を映す鏡
成人式・卒業式を彩る華やかな振袖姿は、いつの時代も若い女性の勝負どころ。それぞれの時代に様々なデザインが生み出されてきました。振袖の色や柄を見ると、時代がそのまま反映されていて、興味深いものがあります。まさに振袖は時代を敏感に映す鏡です。
美智子上皇后様がご成婚前にお召しになられた振袖は、白地に細かな古典柄でした。ご成婚にあやかって白地の多い振袖が流行したのはこの頃です。ご成婚が1959年(昭和34年)のことです。まさに昭和30年代の振袖は白地から始まったと言えるでしょう。
続いて海外のブランド商品が日本に入ってきました。本来海外ブランドで着物などありえない話ですが、そこは目ざとい着物製造・販売会社です。早速デザイナーブランド会社と契約し、ライセンスものの振袖を売り出しました。価格が高くなっているのは、ブランドの使用料です。それでも女性の憧れを満たす商品として、ブランド振袖はよく売れたのです。
ブランド振袖の後で登場したのが「大正ロマン」の振袖でした。どこがどう大正ロマンなのか理解に苦しむところですが、たいへん抑えめな色調の、深緑やえんじ色をベースにしたぼかし染の振袖が登場しました。
振袖の成り立ち
さて、この振袖の袖丈はいつからこんなに長くなったのでしょう?
小袖の形は室町時代の中期にはほぼ完成していたと思われます。ご存知のように、小袖は身幅が広く袖幅の狭い形ですが、江戸に下るに従い、だんだんと現在の着物の形に近くなってきたといわれています。
若い女性の袖丈も、時代が下るに従って長くなってきます。寛文期の1尺4寸から、年代による多少の変化はあるものの、ますます長くなり、文化期には3尺以上、と今の「本振袖」に近くなってきています。「振袖」の名は江戸時代にすでに使われていたようです。留袖という対語があるくらいですから、振袖は未婚女性のイメージでです。
振袖の記念撮影と写真館
これは京都新聞連載時の撮影時に、写真館風に作ったセットです。琵琶湖疎水の水道橋風景をバックにビロードのソファです。
昭和時代は戦前も戦後も、振袖を着ると、次に向かうのは写真館でした。写真を撮ることの少なかった時代、振袖写真はそのまま見合いの釣書に添えられることもありました。昔の日本家屋にない調度に囲まれての撮影は、若い女性にとってわくわくする体験だったに違いありません。本当の古い写真館の画像もお目にかけましょう。これは明治村にある高田小熊写真館です。採光などもよく考えられています。
これからも記念撮影の習慣や振袖は残って欲しいものですね。クラッシックな写真館もぜひ残して欲しいものです。
似内惠子(一般社団法人昭和きもの愛好会理事)
追記:この「着物の文様とその見方」のアメリカ版では、この振袖が表紙になっています。海外の編集者の目を惹いたのでしょうか。
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