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数字と年表でみるマジョリカお召の歴史

「マジョリカお召」という 着物について 、それをもてはやす方々もあり、コレクターもおられるのですがその実態について、正しい把握がないように思われます。

「着物 は単なるファッションのアイテムではなく 繊維産業の一環である」と考える昭和きもの愛好会の観点から ここではマジョリカお召を商品の一つとして 捉え、産地との関わり 生産量の推移そしてその衰退 までを追っていきたいと思います。

典型的なマジョリカお召
拡大です。

マジョリカお召の誕生(昭和34年〜38年)

 十日町小絣は、昭和29年頃から好況が続き、産地の主力商品に成長していたが、ナベ底不況の影響で大きく落込むなど、33年の産地生産額は前年より2割も減退するほどの不振でした。 この市況不振を打開するための模索のなかから、34年にマジョリカお召というヒット商品が誕生したのです。当時の解説ではマジョリカカお召はこのように書かれています。
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マジョリカお召とは今迄に無かった染物と織物が融合した新製品で、又、紋と絣の技術をそのままひとつにまとめて表現した、全く新しい技法のお召です。マジョリカという珍しい言葉は、イタリアで発達した陶器の名称から出たもので、辞書を開きますと「イタリヤで15世紀に発達した陶器で有色の陶質素地に白色不透明の錫釉を施し、金属光彩のデザインで飾ったもので透明着色釉の陶器の名称である」とあります。
マジョリカはスペインの小島であるマジョリカ島に古くくから伝わった技法で、これがイタリアに伝わったものです。
日本で二、三年前から高名な染色美術の権威故明石染人先生等が注目して、染めにこの技法が取り入れられ、マジョリ力陶器の最大の特徴である多彩な陶器のカラーデザインが巧みに応用されて発表されましたが.この度十日町で大胆に織物にこの技法を取り上げて、多彩な紋と織の融合した新製品を完成したのです。マジョリカお召の独特の重厚な地風で旧来の縫取ではとても想像の出来ないような多色の表現が可能で、小紋、加工着尺等の染めとは比較にならないヴォリュー厶があり、最近の染の流行に大きく対抗、織のチャンピオンとなるでしょう。

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その後 ここに書かれているような白色の地色ではないものまで マジョリカと呼ばれるようになりましたが、本来のマジョリカお召し はこのような定義で作られています、本法人ではこうしたお召は「縫い取りお召」と呼んで区別しています。

生産の増加と衰退

紋に横絣を使用する方法がマジョリカの発想のもとでした。当初、十日町の 各社が色々な名前をつけて生産していたのを統一し 「マジョリカ会」というものを設立しそして、共同のパテントなどを取るようにしたのが マジョリカお召の始まりです。
この着物の美しさと 異国風の名前が若い女性に人気が出て 日本全国に広まりました こうして十日町 が全国に名前を広めるきっかけとなったのです。
下記の生産量の表をご覧ください。マジョリカ会結成が昭和34年春なので、記録がこの年から始まっています。


 その生産高は、全く記録的で、初年度30,016点が、35年5 1, 0 4 0点、3年目の36年に2 2 7, 5 5 3点、37年には180,884点にまで 急速に躍進し、わずか両3年にして戦前の明石縮、意匠白生地をはるかに凌駕(りょうが)する名声をかち得たのです。
しかしこの勢いもわずか4年でした 。 
3年目ごろより桐生、西陣において交織の模造製品が市場に現れはじめました。また生糸価格の高騰もあり、産地は五割減産を決議せざるをえない危機的な状況におちいりました。

下のグラフで、お召の生産が38年から急落しているのがわかると思います。

代わって人気が出たのが、「PTAルック」と呼ばれる黒羽織です。この黒羽織のブームは約10年続き、次の十日町の救世主となりました。

十日町をささえた二大産品、マジョリカお召しと黒絵羽織


【参考】;十日町織物工業協同組合の滝沢栄輔氏による解説です。昭和34年から38年のものよ思われます。

「清新の話題を呼ぶ第三の技法マジョリカ」
滝沢栄輔 十日町織物工業組合

上代(西陣)ウール(八王子)マジョリカ(十日町)
今日の着尺界の流行はこの三品種に要約されている。 最近二、三年織のお召が染の着物に圧倒されて十日町、桐生等のお召産地は不振に悩んできたが、その原因は織の着物ではどうしても若向きの華かな表現が出来なかったがマジョリカはその問題を解決するものである。

マジョリカ は十日町全体の五、六万反の中から見れば微々たる数まであるが、この秋冬物の販売に十日町全般をリードする力となった功績は近年、の十日町織物の幾多の品種の中でも、最も水際だった斬斬新な話題となったことは間違いない。

語感からすればエキゾチクな味のするマジョリカは有名なイタリヤ陶器の称で、日本で云えば伊万里唐津、九谷焼等と同じである。

最近桐生が先登始めたとか、桐生にはマジョリカの織法にパテントがあるとかと横槍を入れて来たが、先般東京で特許庁を訪ねて全く十日町で、やり方は独創的なものであることが立証されたものであることが立証され、京都の野口さんからは高級品で名声を益々高揚出来る故を以てマジョリカの登録商標の使用を認められ、一切のトラブルは解決された。


似内惠子(一般社団法人昭和きもの愛好会理事)
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【参考文献】きもの十日町50年の歩み 十日町織物工業協同組合 昭和60年


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