見出し画像

江戸期に誕生した「にぎり寿司」は、最初から「ご馳走」だったのか、それとも庶民的な食べ物だったのか…。
今日はそんな話です。

幕末の価値で、一貫10文くらいの食べ物でした。

今のお金に置き換えると150円くらいですね。
今のお得な回転寿司店のベース、二貫一皿100円の感覚で言えばお高いですが、一貫はかなりでかい! 現在のサイズの3〜4倍の大きさと言われてますので、まぁ、お得と言えばお得と言えるかもしれません。
今の二貫で1セットという感覚は、江戸時代にこのでかいにぎり寿司を2つに切って提供したところから始まったと言われています。

スクリーンショット 2021-12-22 15.16.30

現代人の感覚では、さほど高い料理とは思えませんが…。

江戸時代の寿司店は、庶民的な店は屋台仕様、高級店がちゃんとした店構えがある店舗という感じでした。
店構えがある、いわゆる高級店では、一貫の価格が二十文〜三十文。現代の相場で300円~400円といったところでしょうか。

現代人の感覚からすると、さほど高い料理には思えないという方も多いと思いますが、それは現代人の経済力が江戸期の庶民の経済力をはるかに凌駕してるからですね。
一例ですが、文政年間当時の大工の給与を参考にします。日当は、工料が四匁二分、飯米料が一匁二分、合計で五匁四分、年間300日働いたとして、およそ十七両~十八両の年収となります。一両が銀六十匁。幕末においては、およそ一両=6万円ぐらいの価値ですので、年間給与は100万~110万円。幕末のインフレ前の一両=10万~12万ぐらいの換算でも200万前後の年収です。

そんなところなので、一貫300円〜400円というのは、そんなにお安いという感じではないかもしれません。屋台なら庶民的と言っていい価格ですが…。

当時の江戸庶民の食生活は、たいへん質素なものでした。

まぁ、それは現代人の感覚からすれば、の話ですが…。
食事は、原則的に「一汁一菜」。一般の家庭では、たいていはごはん+漬物+みそ汁のみ、って感じでしょうか。中流以上の家庭では、ここに野菜のおかず一品が付く程度。ナスの煮物、きんぴらごぼう、大根の煮物などですね。

なお、庶民が火を本格的に使えるのは、一日一回。経済的な理由です。なので、朝に一日分の米を炊き、昼食はおひや(ひやごはん)、夕食には、夏場は水をかけた冷飯(れいはん)、冬は湯漬けか茶漬けで温めなおすのが基本だったそうです。
お魚は、なかなか庶民の口には入りません。1か月に2、3回程度、イワシやドジョウ等が食卓に出るのを楽しみにしてたくらいです。
豆腐でさえ当時は一丁六十文もしました。900円くらいですね。庶民にはご馳走だったと思います。

江戸庶民のエネルギー源は、いったい何か…?

肉体労働が大半であった当時の庶民。どうやって活動に要するエネルギーをまかなっていたのかと言うと、大量の「お米」でした。江戸後期、町人の成人男子の一日の米の消費量は5合だったそうです。多いですね。
ごはんを入れたおひつを食卓の真横に置いて、ごはんを少量のお味噌、漬物、みそ汁と一緒にがんがんかっ込むのが庶民の食生活でした。
1日のカロリーの大半を白米でまかなっていたので、脚気等の栄養失調によって生じる病気が江戸には蔓延してたそうです。

もうおわかりかと思いますが、庶民には、なかなか寿司を食べられる機会はありませんでした。もちろん、一部の裕福な商人や武士の家庭では、魚が毎日食卓にのぼり、好きな時に鰻や寿司を食べられるという人もいました。
しかし、大多数の庶民の日常は、とても質素な食生活であり、ちょっとばかり余裕のある家庭でも、野菜のおかずが一品余計に出るぐらいが関の山でした。
そのため、寿司を食べるなんてのは、庶民にとってはなかなかのご馳走だったわけです。特別なときに食べるものという感覚だったんじゃないかと思います。

江戸期の寿司と現代の寿司との違いについて。

最後にまとめてみます。

① 甘味がない。現代のシャリには甘みがありますが、江戸期のシャリは塩と酢のみです。
② 塩味が強い。現代のシャリは、酢4:塩1ぐらいの割合ですが、江戸期のシャリは、酢1:塩1ぐらいです。当時は醤油につけて食べるのではなく、そのまま食べられてたので、強い味付けがしてありました。ネタもヅケにしたり、煮つけたり、塩酢につけたり、かならず味をつけるという一手間が加えられていました。
③ ワサビはマグロとコハダのみ、他のネタには使われませんでした。現代の寿司では使われませんが、辛子を使うことも多かったと言います。
④ 酢には、においも味も強い赤酢が使われていました。
⑤ 現代のシャリは、わりとふんわり握る傾向がありますが、江戸期のシャリはガチガチにきつく握られていました。ふんわりしたシャリが重宝され始めたのは明治に入ってからだそうです。
⑥ 江戸期は、白身の魚が重要視されていたそうです。マグロは下品な味として高級店では置いてませんでした。ネタ順は、白身・貝・海老・光物・マグロって感じですね。
⑦ マグロのトロは下品な味として捨てられたり、猫の餌にされてました。猫も食べずに跨ぐという意味で「猫マタギ」とも呼ばれていました。トロは脂が多く、ヅケや酢漬けにもできないため、劣化も早かったわけです。冷蔵・冷凍技術のない江戸期は、劣化の早いトロは、たいそう嫌われていたそうです。


いいなと思ったら応援しよう!