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あらかじめ決められた恋人たちへ『3"』

第3章「別れ・再生・目覚めの日とシリアルストリーム」


第1章、第2章はここから


   4

 夜はボクたちを男と女にする。
 それは必然的だけど、なんだかとても心は虚しい。
 満たされることのない、すっぽりと空いた心の隙間に、捨てることのできない忘れ去られた想いがいくつか揺れていて、ボクはそれを見ない振りして、いつか自然と無くなってしまえばいいと感じているような気がする。
 
 一つ一つ文字を覚える度に、一つ一つ大切な何かを失っていく。
 それが大人になるということなら、何故ボクは文字を綴るのだろう。
 
 灰色の尻尾が二つ、絡み合う。
 心を失った獣の尻尾が二つ、絡み合う。
 指と指が織り触れるように、蛇のように巻きつき合う。
 すっぽりと空いた心に彼女の綺麗な灰色の尻尾が楔のように巻きつく。
 それは心を失った少女の人形のように、甘い煙草の匂いがボクを惑わせる。
 それは首筋についた歯形の数を数えるように、暗い夜の訪れを待ちこがれる。
 
 ボクたちは裸のままベッドに横たわり窓辺から空に浮かぶ光の集合体を見上げていた。異なる世界にある街の明かりは、どこかの世界で月と呼ばれている存在と同じようにボクたちの世界に光を届けていた。

 とても淡くて、とても柔らかく、とても寂しそうな光だった。
 暗い、暗い夜に差し込む心のような光だった。

「ねえ、ヒカリ?」
「どうしたの?」
「ボクらは一体どこから来て、どこに行くんだろう? ずっとこのままが続くことが許されるのなら、ボクは夜明けなんて来なければいいと思う」
「それは無理なことよ。私たちは夜明けを待ちこがれているの。朝の来ない夜はないのよ」
 長い沈黙が訪れる。その間にも時間は確かに進んで、夜明けは近付いてきているはずなのに、もう長いこと夜明けを見ていない気がする。
 ヒカリは起き上がりベッドに裸のまま腰かけると、鼻歌を唄いはじめた。

 この世界で初めて聞いたメロディーのはずなのに、いつだったか聞いたことのあるようなメロディーは、とにかく懐かしく、ボクはヒカリの奏でる鼻歌を聞くとなんだかいつも夢の中のような気がした。

「私が産まれたとき、私に名前を付けた人がこの歌を唄っていた気がするの」
「気がする?」
 ヒカリは視線をボクに向けて頷いた。
「その人のことを私は何も覚えてないの。ナキヤミが目覚めの日までに命の名前を思い出せないとき、どうなるか覚えてる?」
「記憶から無くなる——だろ?」
「そうね——。その人はたぶん名前を思い出せなかった。だから私は自分に名前を付けてくれた人のことを思い出せないの。——でも、この歌だけは覚えてる。その人が唄っていたのかすら覚えていないけど、たぶん唄ってた。そんな気がするの」
「素敵なメロディーだよ。ボクもその歌を知ってる気がするんだ。本当に気がするだけだけどね——。ねえ、ヒカリ——君はどんな夢を見て産まれてきたの?」
「私は——、私は身体中を絶望ような糸で縛られていたの、怖くて、苦しくて、痛くて、泣いて、助けを求めていた。でも誰も助けになんて来なかったわ。それでも助けを求めた——その度に絶望のような糸は私の身体に食い込んでいった、そして私はそっと瞳を閉じたの——瞳を閉じている間も私はひたすら泣き続けたわ。泣いて泣いて泣き続けた。泣き止むことはなかった。まっ暗だった、そんな夢を見たの」
「辛い夢だ」
「そうね、でも私はそれで良かったと思ってるの」
「どうして?」
「あなたに逢えたからよ——。だから今を生きて行ける」 

     5

「ねえ、ヒカリ?」
「何?」
「ボクは君との物語を書こうと思うんだ」
「私との物語を——。またどうして? 大変なことよ」
「大丈夫だよ、文章を書くことには慣れたから」
「違うわ、あなたと私の物語だからよ」
「ボクと君の物語さ」
「タイトルは?」
「そうだね『あらかじめ決められた恋人たちへ』ってのはどうだい?」
「『たちへ』?」
「そうさ、人生は巡り逢いの連続だから、君と出会う日まで、それは決められた恋人たちへの物語ってことさ」
「ずいぶんとプレイボーイなことね」
「理想の恋人はなかなか現れないもんだよ」

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