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あらかじめ決められた恋人たちへ「1'」

第2章「記憶・歯車・意識的特異点とプラグアンドプレイ」

これまでの第1章

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 今宵もようこそ、なんでもあるけど、なんにもない。
 カズチャンネルの時間だ。こんばんは『SIX』のカズです。
 
 今日で何度目の放送だろうか? 何度目かなんてのはどうでもいいことなんだけどね。
 それはこっそり胸ポケットにしまっておくよ。
 とりあえず何か音楽でも流そうか? 
 そうだなリクエストは聞かないよ。僕の独断と偏見だ。
『パチパチパチパチ』
 ありがとうね。ちょっとビール飲んでいいかな?
『OK』
 オーケー、ありがとね。本当にね、風呂上がりのビールは美味いんだよね。
『今日も髭濃いな』
 ありがとう、自慢のカストロに恋するなよ。
『今日は何について語るの?』
 今日はね、僕のこと、そしてこの先のことさ。
 
 その前に一通メールを紹介しよう。
 東京都新宿区在住。
 ハンドルネーム『あかるい花園二番街の平和武装』さんからだ。

『聞いてくれよカズさん! 
 嘔吐塗れの歌舞伎町を見たことあるか?
 俺はある日、いつもみたいに朝まで歌舞伎町で飲み明かしてたんだ。綺麗なねーちゃんがいる店を何軒も廻ってな。
 ドンペリなんてコカ・コーラを飲み干すみたいに何本も空けて、ショットを競いあって、くだらない馬鹿な話しを繰り返し話したんだ。
 アフターで焼き肉に連れて行ってやったさ。三人ほどな。でも、俺はもう食えなかった。
 酒で頭がぐーるぐるだ。本当にぐーるぐるだ。馬鹿みたいにぐーるぐるだ。
 ねーちゃんたちはそんな俺を見て笑うんだ。
「あははは、馬鹿が頭回ってら」
 てね、俺はねーちゃんたちが楽しけりゃいいんだ。そのあとも酒を浴びるほど飲んださ。
 気が付いたら俺は掃き溜めの中にいた。ちょうど朝日が昇ってな、生ゴミのベッドで仰向けになって眺めたよ。
 するとな、俺は異変に気が付いたんだ。
 異臭だよ。掃き溜めの中にいるからじゃない。野良猫が発する体臭でもない。そんなもんよりも強烈な異臭さ。なんだと思って少しだけ躰を上げてみたんだ。するとな、笑っちまう。歌舞伎町の道という道が嘔吐塗れだったんだ。
 最初はな、俺が吐いたもんかと思ったよ。でも考えてみろ! いくら頭がぐーるぐるで酔っぱらってたって、そんなに大量に吐けやしない。
 俺はな、可笑しくなって大声で笑ったよ。笑ってるとな、なんだか楽しくなってきて昨日一番可愛かったねーちゃんを思い出しながらラブソングを唄ったんだ。
 
 中島みゆきのミルク32さ。
 
 俺は英語の発音が良くてね、ねえ、メイルクってぐあいに唄ったさ。
 その内、朝日が一段と眩しくなってね、またどうしたんだ? って思ったら反射してたんだ。道いっぱいの嘔吐に反射して、ウユニ塩湖のようだった。ウユニ塩湖が天空の鏡って言われるんなら、そうだな——、歌舞伎町は無表情達の墓場だ。
 綺麗だったよ。あんな綺麗な嘔吐塗れの歌舞伎町は今まで見たことなかった。
 掃き溜めで唄うラブソングも悪くないと思った』

 僕の血筋から話そうか? まず僕は君らから何者にみえているかな? 
 そう、人種の話しさ。僕はアメリカ合衆国で産まれて、幼少期はフィンランドで過ごした。学生時代は火星で学び、母の国である日本に来たんだ。父親はイギリス人とドイツ人のハーフで、母親は純粋な日本人さ。祖先まで遡れば、もしかするともっと多くの国の血が混ざり合ってるかもしれない。そんな僕は何者なのかわかるかい?
 
 国籍かい? 国籍は日本さ、政治的区分で言えばね。僕は四季があるこの国が好きでね、小さなバーなんかやってるのもそれもあってなんだ。言語は聞いての通り日本語、あとは英語とドイツ語とヘブライ語を少々ね。あらゆる肌の色、民族の血と言語が混ざり合い僕は形作られているんだ。
 
 宗教? どこにも属していないよ。無神論者と言われればそうなのかもしれないけど、僕は内なる神を信じているんだ。そう、心の中に存在する神だよ。
 ここからが本題さ。僕は別に民族に執着する気はないんだ。民族とは固有の言語を操る集団というのであれば、百歩譲って僕は日本人かもしれないけどけど、そんなことはどうでもいい、言いたいのは僕みたいな出自がこれから多くなるということなんだ。
 
 通信技術の発達によって、世界は簡単に超えられるようになった。相互依存経済による世界の並列化が進めば、血と肌は自ずと混ざり合ってくるんだ。
 今、人類は新たな文化的特異点へ向かい歩み始めている。イギリスで産業革命が起こり民主主義という物欲が赴くままに荒稼ぎを行う制度が始まって、世の中は物質的に豊かになり、軍需産業はより力を強めた。
 
 すまない、ビールを一杯飲ませてくれ——。ありがとう。
 
 コンピューターは量子の世界に足を踏み入れた。この先、近い将来待ち受けるのは技術的特異点だ。世界標準語の制定、国境の無力化が始まったとき、人類は完全にコンピューターが管理する世界になるだろう。そんな世界を生きているのは、今の世界では風変わりな僕のような人種なんだ。
 
 気を悪くしないでくれ、僕は今の世界じゃ居場所が限られて、肩身が狭いだけなんだ。でもこのすばらしい日本と言語を愛している。
 ただ僕の語る世界は近くて遠い物語さ。一国家、一民族でなく人類という種に帰属した時に訪れる新たな世界観。
 今日はありがとう。僕の話しはこれで終わるけど何かあるかい?
『8888』
 Thank you for your continued support.
 波の赴くままに今は生きようじゃないか。
   
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 もしもまた、いつかどこかで巡り逢えるのであれば、違う国に産まれ、違う仕事をして、違う音楽を好きになったとしても、僕は何度でも彼女を好きになる。
 綿菓子のような甘い幻想でしかないけど、確かにそうありたいと願った。
                 
     3

 着信音は山猫からだった。
 僕は読みかけの本を閉じて、注ぎたての珈琲をゆっくりと時間をかけて飲み干すと、窓を締め、電気を消して、黒い傘を一歩持って出かけた。

「いい天気だな。こんな日は部屋でゆっくりと珈琲でも飲みながら何かを考えるのが一番だよ」
 山猫は出窓を少しだけ開けて、青青とした紫陽花の大きな葉に雨が滴る様子を挽きたての珈琲を飲みながら言った。
「世の中では雨の日は悪い天気って言うんだよ」
「世の中ではだろ?」
「ここも世の中じゃないのか?」
 僕は少しだけ皮肉っぽく言う。
「世の中だよ。でもね、君の感じていることが、そのまま他人に該当するとは限らないだろ? 人がどう感じるかはその人次第さ」
 僕はソファーに座って山猫の挽いた珈琲を口を三角にしながら飲んだ。
「じゃあ、君は晴れの日は悪い天気と思ってるのか?」
「晴れの日も良い天気だよ」
「矛盾してないか?」
「してないよ。君は晴れた日を良い天気、雨の日を悪い天気と呼ぶ。良いがあるなら、悪いがなければいけないと思ってるんだ。光あれば影があるみたいにね。じゃあ曇りだったらどうだい?」
「あまり良くない天気だな」
「いい表現だ、悪いとは言ってないし、良いとも言ってない。曖昧で面白い言葉だよ」
「言葉は複雑なんだよ」
「そう、言葉は複雑なんだ。君は空の話しをしているだろ? でもね、僕は心の話しをしているんだ」
 空になった珈琲カップを出窓のスペースに置くと、山猫は楽しそうに尻尾をくるりと上げ、天井から縦横繋がった鉄の棒に絡ませ、そのまま身体ごと逆さまになり足組をした。
「僕らには感情がある。プログラムされたコンピューターとは違うんだよ」
「じゃあコンピューターだとどう感じると思うんだい?」
「さあ? それはコンピューターに聞いてみないと分からないよ」
「そりゃそうだ」僕は妙に納得した。
「僕はね、心に自由に生きたいんだ」

 晴れの日は気分が良くて、雨の日は憂鬱、そう教えられると世界はその通りになってしまう。人間なんてそんなもんだ。
 
     4

 山猫はいつの日か語った。
『僕は僕になった瞬間から尻尾があった。
 もちろん両親にはなく、えらく心配して直ぐに何かの施設に入ったと聞いている。
 記憶が確かなのは五つくらいの頃からで、大きな自由な空間が苦手だった。
 同年代の子ども達がたまに遊びに来ては部屋をぐちゃぐちゃにして帰って行った。
 僕の尻尾について聞いてきたのは一人の女の子だけだった。
 あとの子ども達はみんな部屋のおもちゃやお菓子に夢中だった。
「君はなんでシッポがあるの?」
 そう訊ねられて僕はどう答えればいいのか分からなかった。
 だって僕の頭の中では「なんで君たちにはシッポがないの?」
 そんな思考が巡っていた。
 帰り際に「またね」と言われたことが強く印象に残っている。
 結局「また」は来なかった。
 たぶんその女の子が僕の初恋だった。 
 施設の大人達に僕は訊ねた。
「なんであの子達にはシッポがないの?」
 すると大人達はこう答えたんだ。
「君が感じている疑問は正しいことだ。
 現実で見たものを見たままに変換できている。
 でもね、もっと考えなさい。もっと疑問をもちなさい。もっと想像しなさい」
 思えばあの場所は僕を世界に慣れさせる為の場所だった。
 そして考えた。
 あの空間にいる間ずっと尻尾のない世界のこと、僕自身のことを考えた』


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