#03 玉置宏 〜笑顔でこんにちは〜
「ご機嫌いかがですか、玉置でございます」
番組冒頭、必ずにこやかにこの挨拶をしていたのが司会者の玉置宏。
西村小楽天や宮尾たか志など、歌の曲紹介を務める司会者は数多くいますが、その中でも歌謡曲黄金時代にアナウンサーから転身し、司会者として不動の地位を築いたのが玉置宏でした。
その昔、日曜日の昼にTBSで『ロッテ歌のアルバム』が、夜には『象印スターものまね大合戦』が放送されていたこともあって、玉置は一時期日曜日のお茶の間の顔でもありました。
玉置が司会の世界に入ったのは昭和33年。
時は岩戸景気に湧き、日本はまさに高度経済成長を邁進していました。
歌謡界も、春日八郎・三橋美智也・島倉千代子といった「ふるさと歌謡」や、作詞家の佐伯孝夫と作曲家の吉田正コンビによる「都会派歌謡」のブームが真っ盛りの頃。そこにロカビリーの一大旋風も巻き起こり、多くの人が歌を求めている時代でした。
この頃の玉置は、文化放送のアナウンサーとして活躍。
もともと落語が好きで、明治大学在学中から話す仕事に興味を持っていたそうです。あの歯切れの良い語り口は、落語好きが高じて身についたのでしょう。
その後、文化放送を受験。応募者700人中から合格者3人の難関を突破し、文化放送の男性契約アナウンサー第1号となりました。
入社後、音楽番組『あなたの希望歌謡曲』の司会に抜擢。このとき、レコード会社を回っては新譜をチェックし、さらに作詞家や作曲家のもとを訪れては話を聞き、歌謡曲の知識を身につけていきました。結果、これが後の人生を決定づけることになったのです。
話を再び昭和33年に戻します。この年、玉置にTBSの新番組『ロッテ歌のアルバム』の司会依頼が舞い込みます。しかし、玉置はまだ文化放送のアナウンサーであり、この仕事を引き受けるためにはフリーアナウンサーにならなければいけませんでした。
入社してまだ2年なだけあって、この話に乗るか悩む玉置。それを後押ししたのが、当時の歌謡界で人気絶頂であった三橋美智也でした。
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