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#05 市原悦子 〜家政婦から刑事まで〜

 平成が終わろうとしていた年の1月12日、超が付くほどの個性派女優であった市原悦子が世を去りました。
 82歳で旅立った彼女も、早いもので今年3回忌を迎えました。
 あるときは家政婦、あるときは刑事、そしてあるときは昔話を朗読するおばさん。女優としての市原悦子は、実に多面性を持つ演技派の女優でした。

 その実力は、若い頃から折り紙付きでした。1957年(昭和32年)に劇団俳優座へ入団すると、デビュー作『りこうなお嫁さん』でいきなりの主演。その後、芸術祭奨励賞、新劇演劇賞と次々に賞を獲得。その高い演技力は、演出家の浅利慶太に「戦後新劇の生んだ 最高の女優」と言わしめたほどでした。
 舞台においては、最高の賛辞と数多くの栄誉に輝くなど、順調にキャリアを重ねていた市原悦子。並行して映画界にも足を踏み入れ、1957年(昭和32年)の豊田四郎監督作品『雪国』でスクリーンデビューを果たします。
 この作品では、主演の池部良演じる画家の島村の部屋に訪れた田舎芸者の役を演じていますが、ふっくらした体格に甲高い声で「アッハッハ」と笑い転げる強烈な三枚目を演ってのけました。本作は川端康成の原作なだけに淡々と話が展開する文芸映画なのですが、市原の場面だけは完全に喜劇となっているのです。ほんのわずかながらも強烈な印象を残すシーンでした。

 この後も『喜劇 駅前旅館』でロカビリ—に熱狂する修学旅行生や、吉展ちゃん誘拐事件をモデルにした関川秀雄監督『一万三千人の容疑者』などに出演しましたが、これといった大役に恵まれることはなく、映画においては代表作となるものに巡り会うことはありませんでした。
 一方の舞台では、出演した『三文オペラ』が大評判となり、仲代達矢と共演した『ハムレット』ではゴールデンアロー賞新人賞を受賞するなど、変わらぬ旺盛な活躍を見せます。

 そんな彼女が新たな活路を見出したのが1975年(昭和50年)のこと。

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