貧乏エリートによる「嫉妬資本主義」が日本の成長を潰す?!〜経済に必要なのは嫉妬よりも称賛というプラスエネルギー〜
日本の今の問題は、エリート街道できたはずの人が大して成功できずに終わるというリアルです。しかしさらに深刻な問題は、そのようなエリートたちが束になって、エリート街道とは全く違うラインから挑戦し、成功を収めて、富を得ている人たちを叩くという構図です。
そういう意味では経済的に「貧乏」というよりは、精神的「貧乏」とでも言いましょうか、社会全体感よりも自己肯定感のためにあれこれ動き回る業界団体やら企業やらの民間、行政組織の中堅以上の方々が残念ながらそれなりにいて、過去の維持、継続こそ日本の正義だと思われている方々の根源的な問題でもあります。
レオスキャピタルの藤野さんが「嫉妬資本主義」としてFBで書かれていて、まさにということで多くの方も賛同しています。
時代の変化の時には往々にして起こることですよね。江戸時代から明治の時代にシフトする時だって、もともとは各藩の名家の武士階級とかであれば、禄もらって生活していたエリートたちも、明治の時代になって士農工商もなくなり、市場経済が発達すれば、位の低い武士階級の家出身のやつが大成功したわけです。
敗戦後だった同じですよね。かつてエリートと言われた軍隊組織は全面解体、社会的地位どころか、職そのものがなくなり、さらに要職にいた人はパージされるのですから、話になりません。かつてのエリートが全くエリートではなくなり、野武士のごとく自分で頑張ってね、というお話になるわけです。ただ、それによって生まれたソニーのような戦後ベンチャーもあるわけで、何も悪いことばかりではありません。
ただ言えるのは、時代の変化の時には、「エリート」の意味は変わるし、これまでも変わってきたということです。しかも100年間も維持されず、70年程度で近現代では覆されてきたという事実と我々は向き合わなくてはならないということです。
じゃあ今となって割に合わない貧乏エリートとなってしまったサラリーマンにできることはないのか、といえば、投資家とか資本家とか新規産業で成功した人を陥れるのではなく、むしろサラリーマンたちこそ本多静六のようにできる投資を切り替えしていく個人投資家としての生活をハイブリッドで行うなど活路を見出すこともできるし、本当に優秀であるならば転職なども大いに有り得るわけです。つまりは嫉妬ではなく、自分の行動で社会変化に適合すればいいのです。
そのあたりの変化に向けて本コラムをまとめています。
○ 「エリート」の再定義の時、日本は大きく成長してきた
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