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新刊無料公開vol.5「嗤う銀行」 #地元がヤバい本

※この記事では、11/15に刊行された『地元がヤバい…と思ったら読む 凡人のための地域再生入門』(ダイヤモンド社)の発売記念として、本文を一部無料公開します。

「いやぁ、そんな勝手に方針変えられましてもねぇ、ええ」 

あからさまなしかめっ面で、さきがけ銀行の担当者は渋った。土地を売却し、これまでの借り入れをチャラにする相談をしていたのに、急に売却せずに物件を人に貸す事業を始めたいと 言い出したわけだから、僕だって無茶を言っているのはわかっている。

「まぁそうしましたら、瀬戸さん、これまでの融資分の返済をどうにか『別のカタチ』でしていただかないと、当行としては到底受け入れることはできませんねぇ、ええ」
昨晩、佐田から、まったく予期しなかった「実家再生計画」とも言うべき提案を聞かされた。そのときは面食らったものの、やはり試しもせずに実家を壊したら、ずっと後悔し続ける のではないか、というのが一晩経っての結論だった。
「えっと......まだ細かなところはこれから考えますので。うちの持っているアパートのほうを売って、返済に充てようかなと思っています。そのうえで、今の物件を一部改修工事して、貸し出して運用するカタチであれば、当初の実家を売って、アパートをそのままにする予定とは変わってしまうけど、できるかもなぁと思っていまして」

自信なさげに話す僕に対して、担当者はファイルを叩きながら語気を強めた。

 「まぁ、いきなり計画変更されると、上にも通していたのでこちらも困るんですよ!  そんな できるかどうかわからない事業に勝手に変更されても、ね? しかもたいして儲からないじゃないですか。まぁ、もう少しだけ待ちますので、来月までに整理の方法を明確に決めてください。ただね、瀬戸さん、あなた地元に住んでなくてわかっていないんだと思うけど、そんな簡単にこのまちで、ボロ家に入るテナントがあるなら誰も苦労しませんよ、ええ」
そんなことできるわけないだろ、馬鹿か、と言いたかったのだろう。僕もまだできるかどうかわからない。だけど、佐田がこのまちでやってきたことを知って、自分も何か挑戦したいという思いが湧きあがっていた。

「資産売却についてはお付き合いのある不動産仲介に当たり、すでに見積もりなどもとっていましたので、方向が変わると多方面に迷惑がかかるんですよねぇ。自分勝手に考えずに、ちゃんとまわりのことも考えて判断してくださいよ、ええ」
幸いにしてアパートは8室しかないものの、6室は埋まっている。すでに建設にかかった借金は完済しているし、それなりの利回りだ。昨晩佐田に相談したら、こぶりな物件だけに引き受け手はいるだろう、と話してくれた。銀行はこちらの生活や、今後を考えてくれているわけではない。彼らが考えているのは、融資を、面倒くさくない手段で、てっとり早く回収することだけだ。 問題は、もともとアパートで回すはずだった収益以上の額を、実家の再生事業で稼ぎ出せるかどうかだ。ほかにも空き店舗はぞろぞろあるし、別にうちの建物がきれいなわけでもない。 いくら佐田が成功しているからといって、同じことができるのか。

東京に戻ると、地元で起きていた話がまるで遠い夢の中の出来事のように感じられた。
ただ会社の日常業務をこなしていても、ふと気を許すと、実家の活用方法についてあれやこれやと考えてしまう。前に買った事業清算の本の上に置かれているのは、飲食店経営や不動産経営に関する本だ。 いろいろな飲食雑誌も見てみたが、東京都内の路地裏の名店を特集する記事が少なくない。都内でも大きくて派手な飲食店より、路地裏の住居を改装した隠れ家レストランが人気だったりする。地元も東京も大きな流れは同じ※16なんだ。

地元も東京も大きな流れは同じ※16…近年、路地裏や密集市街地の人気が高まっている。従来であれば汚いとされたような横丁の価値が見直され若い世代に人気を博したり、チェーン居酒屋よりも独立店舗の地元店が注目を集めたりしている。東京23区内でいえば谷根千、大阪市でも裏なんば、福岡市で屋台が再評価されるのも同じ構造だ。再開発されたビルなどは、家賃が高いゆえに、どこでも安定的に同じものを提供するチェーン店舗しか出店できず均質的になってしまうが、古くからの路地裏は独特の雰囲気と安価な家賃によって地元店舗が集積し、その多様性が評価されるようになっている。

水曜日、少し仕事を早めに片付けて、気になっていた谷根千の路地裏を回ってみることにした。 雑誌の情報によれば、東京とは思えないような木造の建物がひしめく下町エリアに、センスのよい店が立ち並んでいるらしい。職場のある新橋駅から山手線に乗り、いつもは品川方面に帰るところを逆行し日暮里駅へ向かう。普段なら絶対に降りない駅だ。日暮里の駅を出て坂を少し上っていくと、すぐに頂上に達しいきなり階段で下る。そこに広がっていたのは、ビルばかりの東京というイメージとは異なった、昔の地元のような雰囲気のまちだった。階段を降りて商店街に入ると、ほどよい道幅に小さな店が軒を連ねている。この道幅、うちの地元の裏通りと同じだ。雑誌を頼りに路地裏に入ってみると、急に落ち着いた住宅街になった。住宅街のど真ん中に、古い建物を改装してカフェとギャラリーにしている店まである。 「こんな住宅街に、外からお客さんがくるのか」
ぶらぶら歩いているだけでも発見がたくさんあった。
上野方面に歩いていくと、芸大がある関係か、ギャラリーが増え、昔からやっているらしい店構えが目立つ。小さな一角では3棟ほどの建物が改修工事されて、庭でつながっている。何やら人が並んでいると思ったら、クラフトビールの店だった。東京でも最近増えたよなぁ、クラフトビール屋。歩いて喉も乾いたから、こりゃ一杯飲まずにはいられない。列に並んでつまみと一緒に頼むと、思ったよりすぐに出てきた。つまみはハムカツ、最高だ。
そそくさと外に出て、植え込み脇のベンチに腰掛ける。ラムネを頬張って喜ぶ子どももいれば、ビールを一人で飲んでいるおじさんもいた。新しくはまったくないが、そういう空間が都会でさえ乏しくなって、地方ではほぼ皆無に近い。こういう場所が、時代的に一巡して希少なものになっているのか。
「え、うちの家みたいだ......」
たまたま路地裏で出合ったその家は、僕の実家そのものだった。古ぼけたなんてことない木造の家だが裏庭があり、1本の欅の木が生えている。裏庭は垣根がなく道路へと続いていて、 多くの人に開放されていた。1階には飲食店とカフェ、2階には小さなアクセサリーショップやオリーブオイルの輸入会社のショップなどが入っている。道路続きにして開放された裏庭は、ちょっとした小さな公園のようになり、多くの人がそこで涼んだり、語らうための場になっていた。なんてことのない木造の建物で、派手なメインストリートでもない路地裏にあるその家は、たしかに生きていた。
僕は、実家を単に古くて、なんの変哲もないただの家だと思っていた。けれど、親父も、そしておじいちゃんもそこで商売をしてきた。何も目立つことはないけど、しっかり商売をしていたからこそ残った空気感がある。古くて普通の木造でも、使い方次第でどうにでもなるんだ。
活用できないのではない。活用する気が僕になかっただけだ。佐田の店の方向性には、単なる思いつきを超えた意図がこめられているのではないか。興味は膨らむ一方だった。


スマホを取り出して佐田に連絡をいれる。 「こないだの話、悩んだけどさ。やっぱり進めてみたいんだ」
すぐに返事が返ってきた。
「よっしゃ、ほな段取り進めていこか」

「あとさ、佐田くんたちがやっている、月一のマーケットの手伝いさせてもらってもいいかな」

「もちろん、ええで。仲間も紹介したいし、店出したいと思っとるやつもおるから紹介するわ」 

「銀行からはそんなことできっこないってはっきり言われちゃってさ。正直、僕も事業なんかやったことないし、自信はなくて......。けど、今日も東京の路地裏回ったりしていたら、すごい面白いことが起きてた。実家に似た店なんかも見つけてさ。試してみたいと思ったんだよ。 自分もここで何もせずに後悔だけはしたくない、とだけは思ってる」
僕の声の小ささとは対照的に、佐田は笑いながら、
「瀬戸! お前、これから何かやろうっちゅうときは、普通楽しいもんなんや。今が一番楽しい。事業は始まったら大変やぞ。あれやろう、これやろとう思ってるときに楽しまんで、いつ楽しむねん。銀行が積極的にやりましょうなんて言ってきたら、そっちのほうが危険やから安心しとけ。そもそもこんな地方で事業やるゆうたら、誰もが反対※17する。おれと銀行、どっち信用するんや。何をやるかより、誰とやるかやで」

誰もが反対※17…ただでさえ衰退するまちで、事業を仕掛けることに不安を感じない人はいない。さらにまわりからは親切心で確実に反対される。いろいろな人の意見を聞く人がいるが、特段関係ない人たちに意見を聞いたりして回っているうちに、マイナスの意見ばかりを言われて諦めてしまうケース も多い。石橋を叩いて渡るどころか、石橋を叩き壊すタイプの人だ。事業 が成功するか失敗するかなんて誰もわからない。ましては別に投資や融資をしてくれるわけでも、事業を手伝ってくれるわけでもない地元の重鎮などに意見を聞いても、適当に自分の経験と感覚で意見されるだけだ。不安があるからといって人の賛成を精神安定剤にしようとせず、自分で覚悟を決めてやるしかないのだ。

僕は楽しむことより、不安に思うことのほうが多い。悩んだときにはなんでも抱え込んで、結局うまくいかなくなってしまう。 仕事でも、できないくせに自分ですべてやろうとして、とんでもない失敗をしてしまってばかりだった。

時計をみると午前3時。一人PCに向かって、明日の社内向けのプレゼン資料を自宅でつくっていた。僕は、いったいこんな夜中まで何をしてるんだろう。気分転換に、つくりかけの実家の再生計画の資料を眺めてみた。
僕は何がしたいんだっけ。自分でこうしたいという選択をして生きてこなかったツケがこの歳になって回ってきたような気がする。できる範囲で勉強し、先生が「受かる」と言った範囲で受験し、内定をもらえた会社に入社した。自分の意思ではなく、流れのままに、できる範囲のことだけやってきた。けど、実家の話は別 だ。始まりは佐田からの提案だったけど、結局どうしたいかは、僕が決めなくてはならない。
新聞配達か何かだろうか。遠くでバイクが走る音が聞こえてきた。 ぐっと伸びをして、またPCに向かう。実家の話が気になり、仕事の資料作成はまったく進まなかった。
日常すぎていつの間にか考えないようになっていた、仕事への漠然とした疑問※18が大きく膨れあがってくる。

仕事への漠然とした疑問※18…積み重なって膨れ上がる「漠然とした不安」は漠然としている限り解決できない。不安に思うのは、収入面か「やりたいことをやれている」という仕事への充実度なのか、その不安の源泉を明確 にしなくてはならない。収入が不安であれば、今の仕事を続けたまま新たな仕事をできる範囲でスタートして、新たな仕事での収入が一定レベルを超えた段階で大きな挑戦をすればよい。原因を追求せず、漠然とした不安をそのまま放置してしまえば結局のところ何も変化が生まれないので、状況は悪化するしかない。問題の明確化が、解決の入り口である。

親父は55で死んだ。同じ年で死ぬとすれば、あと自分には20年余りしか残されていない。だとしたら、今日やっていることは本当に意味があることなのか。自分がやりたいことなのだろうか。
朝日で徐々に白くなる空を見ながら、僕は深くため息をついた。

(次回へ続く)

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木下斉
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