名神大社参拝記その3 越中国 射水神社、気多神社
名神大社参拝記その3です。
能登半島の地震の復興を少しでも応援出来たらという事で、今回は北陸応援を兼ねて越中国(富山県)の名神大社を二社お詣りしてきました。
能登半島地震の被害者の方のご冥福を心よりお祈りするとともに、被災者の方、遺族の方にお見舞い申し上げます。
今回は氷見までしか訪れていませんが、氷見市では何か所か震災の跡が見受けられました。能登半島と被災地域の一日でも早い復興をお祈りいたします。
越中国一宮
神社でよく「一宮」(いちのみや)って呼ばれる神社があります。
読んで字のごとく、その国で一番のお宮(神社)を指します。
だいたいはその国(ここで言う国は廃藩置県前の旧国名)に一つなんだけど、越中国には、なんと4つも一宮がwなんでやねんwww
その4つが、射水神社、気多神社、高瀬神社、雄山神社。
そのうち名神大社になっているのは、射水神社と気多神社。
今回はこの2社と、距離的にお詣りできそうだった高瀬神社にお参りしてきました。(その他にも移動線上にあった櫛田神社、杉原神社、魚津神社、日枝神社にもお詣りしてきました。杉原神社は行くのが大変だったwww)
越中一宮 射水神社
まずは、射水神社。
富山県高岡市の高岡古城公園内にあるんだけど、高岡市の隣に射水市があるわけ。射水神社は射水市にはなくて、高岡市にある。なんだそりゃwww
高岡古城公園は、前田利長が築城した高岡城があった公園で、射水神社もその中にあります。「前田家」とかの名前が出てくると戦国ヲタはちょっと上がるよね~(ちなみに新高岡駅にも前田利長公の兜のデカい模型が展示してありました。最初何かと思ったw)
で、話を射水神社に戻すと、射水神社の御祭神は二上神(ふたがみのかみ)で、今は天孫 瓊瓊杵尊(てんそん ににぎのみこと)として祀られているそうです。元々は二上山に対する山岳信仰が始まりなのかな。
前田家のお城の中にある神社ということで大変落ち着いた品のある神社でした。御祭神の瓊瓊杵尊が個人的に好きな神様なのでしっかりお詣りしてきましたよ~。
越中国一宮 気多神社
こちらも越中国の一宮 気多神社。
養老2年(718年)に僧行基が創建したと伝えられています。(また行基か、この人も本当によく出てくるよね。近鉄奈良駅の銅像が有名)
また、天平年間(757~764年)に越中一ノ宮として能登一宮の気多大社から勧請したとも言われています。
気多神社、ちょっとした山の上にあるんだけど、本当に良かったです。
山の上にあるからこそなんだけど、ちょっとしたご神域っぽくなっていて、参道の階段を登り切ると、そこは別の世界線のようなご神域が拡がっていました。
参拝した時間も良かったのか、お宮の向こうから陽の光が差してきて、本当に別世界のような光景でした。正直、瑞兆としか思えないwww
気多神社、本当に良かったです。
富山に行かれることがあれば、ぜひ参拝してもらいたい神社ですね。
御祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)と、奴奈加波比売命(ぬなかわひめのみこと)です。
また、本殿横に大伴家持を祀る大伴神社があります。なんでも万葉集の編纂をこの地域でもしたそうです。
番外編
名神大社ではないけれども、越中国一宮ということで、高瀬神社にも参拝してきました。こちらはなぜか「うさぎ」にフィーチャーしていて、兎年の自分としては、ちょっとご縁を感じたお宮でした。
桜の季節に来たら、鳥居前はすごかったんだろな~。
というわけで、北陸復興を願って富山の名神大社お詣りして参りました。
富山は結局、高岡~氷見~魚津~黒部~宇奈月~富山と行ってきましたが、本当にお魚が美味しい所でした。あとは意外なところで「お米」が無茶苦茶美味しかったです。
また、人生で初めて「立山連峰」なるものを生で見ました。本当に「この世の果て」といった感じでした。凄かったです。
次回はどこにお詣りできるかな~。
富山だけではないですが、能登半島地震からの復興心よりお祈りいたします。
最後までお読みくださいましてありがとうございます。