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だって、じっとしていられないんだもの……
先日、1,000円カットに髪の毛を切りに行ったんだけど、椅子に座って順番を待っていたら、小学校に入らないくらいの小さな男の子がおばあちゃんと入ってきた。
保育園、今日休みだったっけな?と不思議に思いつつ、もしかしたら、おばあちゃんが家で面倒をみられるからって、幼稚園や保育園に入れていないのかな?と思った。
それで、その男の子、お行儀がいいことに、椅子に大人しく座ってじっとテレビをみているのね。でも、ただ萎縮して動けない、ってわけじゃなくて、ちゃんと相手の目を見て挨拶できるし、質問されたことにはちゃんとハキハキと答えられる。
すごいな~、偉いな~、とちょっと感動しちゃった。だって、うちの博士になると息巻いている息子、大人になった今はそれなりに落ち着いたけれども、小学校低学年くらいまでは全然落ち着きがなかったんだもの。
こういう場所でも椅子に座って待っていられなくて、すぐにうろうろと歩き出してしまう。その辺にあるものを手にとっていじり始める。
大騒ぎするわけでもないし、それほど周りに迷惑を掛けていたわけでもなかったけれども、じっと静かにしているのは苦手な子だった。
さて、そんな息子の小さな頃の落ち着きの無さはどこからやってきたんだろう?と考えてみると、私も落ち着きはない人間だな、と思う。
何かしらしていないと落ち着かない。何もしないで落ち着いていられるのは、眠くて電池が切れているときだけだ。後は、やることがなければ、今はひたすらスマホをいじり倒している。
さて、家の中には、落ち着きがない人間がもう一人いた。おばあちゃんだ。おばあちゃんも、じっとしていられない。
先日、買い物に連れて行ってほしいと言われてお店へ連れて行った。大きなお店だと、車いすに乗ってもらって私が押すんだけど、小さなお店では車いすが置いていないので、自分で歩くしかない。
最近はセルフレジが増えたので、おばあちゃんには会計が難しい。だから、入口のあたりで待っているように伝えて、私が代わりに会計をする。
お金を払って、買ったものをマイバッグに詰めて、待っているように伝えたはずの場所に行ってみると、、、、いない。
どこに行った?!と慌てて周りを見回していると、「おばあちゃん」とつぶやいた私の声が聞こえたのだろうか?
外からお店に入ってきた人が、「そこで側溝の溝に杖が挟まって動けなくなっていたから、助けてあげましたよ」と教えてくれた。
その人が指した方向をみてみると、おばあちゃんがヨタヨタした足取りで歩いている。うちの車とは微妙にずれた方向へ。そのまま真っすぐ行っても、よその車にたどり着いてしまう。
そうだ、この人は、とにかくじっとしていられない人だった、と今更ながらに思い出す。一緒に買物に行っても、私が何かを見ていると、気になった方に声も掛けずに進んでいくから、行方不明になる。
小さなお店ならいいけど、大型スーパーやショッピングモールだと探すのが大変だ。あちらこちら歩き回って、ようやく見つけて小言を言う。でも、なにを言われても平気の平左のようだ。
今回も、私が「この辺で待っていて」と伝えたのに、勝手に外に出て一人で車に行こうとしていた。
結局、人の性質は年をとって、思うように動けなくなっても、変わらないってことなんだろう。まあ、足もかなり弱ってきたから、昔みたいに遠くには行けない。その点は、ちょっと楽かもしれない。
そのバイタリティ、90歳過ぎてもわが道を心のままに行く、って心意気、すごいな、と思いつつ、これが足腰が丈夫でどこまでも歩ける老人だったら、最近、よく地域の防犯メールで回ってくる、迷子高齢者になってしまう危険性も高いのだと、ちょっと怖くなる。